捕かまるんじゃないかと思って、気が気でない、それでモウそろ/\帰ろうと云うのだった。道理で母は時々別なテーブルにお客さんが入ってくると、その方を見て、「あのお客さんは大丈夫らしい」とか、又別な人が入ってくると、「あの人は人相が悪い」とか云っていた。私がかえって知らずに家《うち》にいた時のような声でものをしゃべると、母がもう少し低くするように注意した。母は、会っていて、こんなに心配するよりは、会わないでいて、お前が丈夫で働いているということが分っていた方がずッといゝと云った。
母は帰りがけに、自分は今六十だが八十まで、これから二十年生きる心積《つも》りだ、が今六十だから明日にも死ぬことがあるかも知れない、が死んだということが分れば矢張りひょっとお前が自家《うち》へ来ないとも限らない、そうすれば危いから死んだということは知らせないことにしたよ、と云った。死目に遭《あ》うとか遭わぬとかいうことは、世の普通の人にとってはこれ以上の大きな問題はないかも知れぬ。しかも六十の母親にとっては。母がこれだけのことを決心してくれたことには、私は身が引きしまるような激動を感じた。私は黙っていた。黙っている
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