た。――「倉田工業」は二百人ばかりの金属工場だったが、戦争が始まってから六百人もの臨時工を募集した。私や須山や伊藤(女の同志)などはその時他人《ひと》の履歴書を持って入り込んだのである。二百人の本《ほん》工のところへ六百人もの臨時工を取る位だから、どんなに仕事が殺到していたか分る。倉田工業は戦争が始まってからは、今迄の電線を作るのをやめて、毒瓦斯《ガス》のマスクとパラシュートと飛行船の側《がわ》を作り始めた。が最近その仕事が一段落をつげたので、六百人の臨時工のうち四百人ほどが首になるらしかった。それで此頃の工場では、話がそのことで持ち切っていた。皆が「首になる」「首になる」と云うと、会社では「臨時工に首なんかモト/\ある筈《はず》がない。かえって最初の約束よりは半月以上も長く使ってやっているじゃないか」と云った。事実約束よりも半月以上も長く働きは働いたが、切《せ》ッぱつまった仕事ばかりなのでその間《かん》の仕事はとても無理なのだ。女工などは朝の八時から夜の九時まで打《ぶ》ッ通し夜業をして一円〇八銭にしかならなかった。夜の六時から九時までは一時間八銭で、しかも晩飯を食う二十分から三十分ま
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