ういう落付かない時は、えて危いと思った。私はつかまってはならない。私は「しるこ屋」に入ってゆっくり休み、それから帰ってきた。
 私達は退路というものを持っていない。私たちの全生涯はたゞ仕事にのみうずめられているのだ。それは合法的な生活をしているものとはちがう。そこへもってきて、このような裏切的な行為だ。私たちはそれに対しては全身の憤怒と憎悪を感じる。今では我々は私的生活というべきものを持っていないのだから、全生涯的感情[#「全生涯的感情」に傍点]をもって(若《も》しもこんな言葉が許されるとしたら)、憤怒《ふんぬ》し、憎悪するのだ。
 私はムッとしていたらしい。下宿の出入りには、おばさんに何時もちアんと言葉をかけることになっていながら、私はそれも忘れ、二階に上がってしまった。
 私は机の前に坐ると、
「畜生!」
と云った。

 その後、私は笠原と急に親しくなった。私は自分でも妙なものだと思った。彼女は頼んだ用事を何くれとなく、きちんと足してくれた。太田の裏切から私は最近別な地区に移ることに決めたが、自分で家を探がして歩くわけにも行かなかったので、それを笠原に頼んだ。それと同時に私は笠原と
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