いに頑固だった。今このような女の同志は必要だった。殊に倉田工業の七〇%(八百人のうち)が女工なので、その意義が大きかったのだ。
 私は倉田工業の他に「地方委員会」の仕事もしていたし、ヒゲ[#「ヒゲ」に傍点]のやられたことが殆《ほと》んど確実なので、新たにその仕事の一部分をも引き受けなければならなかった。急に忙がしくなった。が、アジトが確立した上に、工場の生活がなくなったので、充分に日常生活のプランを編成して、今迄よりも精力的に仕事に取りかかることが出来た。
 工場にいたときは、工場のなかの毎日々々の「動き」が分り、それは直ぐ次の日のビラに反映させることが出来た。今その仕事は須山と伊藤が責任を引き受けてやっている。最初私は工場から離れた結果を恐れた。ところが、須山たちと密接な組織的連繋《れんけい》を保っていることによって、浮き上る処か、面白いことには逆に、離れてみて須山や伊藤や(そして今迄の私も)眼先だけのことに全部の注意を奪われていて、常にヨリ一歩発展的に物事を見ていなかったということが分るのである。非常に精細な見方をしているようで、実はある固定した枠《わく》内で蚤取眼《のみとりまなこ
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