、イラ/\した。ただ、私には今迄一二度逃げ場所の交渉をして貰った女がいた。その女は私が頼むと必ずそれをやってくれた。女はある商店《みせや》の三階に間借りして、小さい商会に勤めていた。左翼の運動に好意は持っていたが別に自分では積極的にやっているわけではなかった。女の住所は知っていたが、女一人のところへ訪ねていくのも変であったので、私は今迄用事の時は商会に電話をかけて、それで済ましていた。が私には今その女しか残されていない、そんなことを考慮してはいられなかった。――私はS町で円タクを捨てると、覚悟を決め、市電に乗った。
成るべく隅の方へ腰を下して、膝の上に両手を置いた。それから気付かれないように電車の中を一通り見渡してみた。幸いにも「変な奴」はいない。私の隣りでは銀行員らしい洋服が「東京朝日」を読んでいた。見ると、その第二面の中段に「倉田工業の赤い分子検挙」という見出しのあるのに気付いた。何べんも眼をやったが、本文は読めなかった。――それにしても、電車というものののろさ[#「のろさ」に傍点]を私は初めて感じた。それは居ても立ってもいられない気持だ。
用心のために停留所を二つ手前で降り、
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