ぎていた。私はその間何べんも手拭《てぬぐい》でゴシ/\顔中をこすった。原稿の仕事をやると、汗をかくのだ。書き終えた原稿を封筒に入れ、表を出鱈目《でたらめ》な女名前にして、ラヴ・レターに仕立て、七時四十分に家を出た。「散歩してきます」と云うと、何時《いつ》も黙っているおばさんが、「行っていらっしゃい」と、こっちを向いて云った。効《き》きめはあらたかだ。私は暗がりに出ながら苦笑した。前に、何時《いつ》ものように家を出ようとした時、「あんたはヨク出る人ですねえ」と、おばさんが云ったことがある。私はギョッとした、事実毎晩出ていたので、疑えば疑えるのである。私は突嗟《とっさ》にドギついて、それでも「何んしろ、その……」と笑いながら云いかけると「まだ若いからでしょう?」と、おばさんは終《しま》いをとって、笑った。私はそれで、おばさんはあの[#「あの」に傍点]意味で云ったのではないことが分って安心した。
八時に会う場所は表の電車路を一つ裏道に入った町工場の沢山並んでいるところだった。それで路には商店の人たちや髪の前だけを延ばした職工が多かった。私は自分の出掛けて行く処によって、出来るだけ服装をそこ
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