持っているので、今日の会合をどうしようかと思った。そう思いながら、まだ決まらず歩いていると、交番のところにも巡査が二三人立っていて、驚いたことには顎紐《あごひも》をかけている。途中から引ッ返えすことはまず[#「まず」に傍点]かったが、仕方なかった。私は一寸《ちょっと》歩き澱《よど》んだ。すると、交番の一人がこっちを見たらしい、そして私の方へ歩いて来るような気配を見せた。――私は突嗟《とっさ》に、少しウロ/\した様子をし、それから帽子に手をやって、「S町にはこっちでしょうか――それとも……」
と、訊いた。
巡査は私の様子をイヤな眼で一《ひと》わたり見た。
「S町はこっちだ。」
「ハ、どうも有難う御座います。」
私はその方へ歩き出した。少し行ってから何気なく振りかえってみると、私を注意した巡査は後向きになり、二人と何か話していた。畜生め! と思った。そして私は懐《ふところ》の上から「ハタ」や「パンフレット」をたたいた。「口惜しいだろう、五十円\貰《もら》い損いして!」
私は万一のことを思い、とう/\家へ帰ってきた。次の朝新聞を見ると、人殺しがあったのだった。私たちはよく別な事件のために側杖《そばづえ》を食った。が、彼奴等はえ[#「え」に傍点]てそんな事件を口実にして、「赤狩り」をやったのだ。現に彼奴等はその度毎に「思わぬ副産物があった」とほざい[#「ほざい」に傍点]ているのがその証拠だ。Sによると、外国の雑誌に、日本では夜遅く外を歩く自由も、喫茶店で無理矢理な官憲の点検を受けずには、のんびりと話し込む自由[#「自由」に傍点]もないと書いてあるそうだが、それは本当だ。そしてそれは特に我々への攻撃のためである。
私は常に新聞に注意し、朝出るときとか、夜出るときは、自分の出掛ける方面に何か事件が無いかどうかを調べてからにした。殊に今迄逃げ廻わっていた人殺しとか強盗が捕ったりした記事は隅《すみ》から隅まで読んだ。その時には自分の取っている新聞ばかりでなく、色々な新聞を笠原に買わして、注意して読んだ。ある時七年間隠れていたという犯人の記事などは多くの点でためになった。私は毎朝の新聞は、まずそういう記事から読み出した。
――私は今一緒に沈ん[#「沈ん」に傍点]でいるSやNなどの間で、「捕かまらない五カ年計画」の社会主義競争をやっている。それは五カ年計画が、六カ年になり七カ年になればなる程、成績が優秀なので、「五カ年計画を六カ年で[#「五カ年計画を六カ年で」に傍点]!」というのがスローガンである。そのためには、日常行動を偶然性に頼っていたのでは駄目なので、科学的な考顧の上に立って行動する必要があった。笠原は時々古本屋から「新青年」を買ってきて、私に読めと云う。私もどうやら時には探偵小説を、真面目《まじめ》に読むことがある。
次の日、定期の連絡に行くと、須山は私を見るや、「よかった、よかった!」と云った。彼は私が(私は約束を欠かしたことがないので)やられたものとばかり思い、実は君の顔を見るまで、悪い想像ばかりが来て弱っていたと云うのである。私は昨日の側杖《そばづえ》を食ったことを話した。そして、
「五カ年計画を六カ年で、じゃないか!」
と、笑った。
「それはそうだが……」
昨日私が「人殺し」の側杖をくって「エンコ」が出来なかったので、須山は今日それが出来るように用意してきていた。場所は伊藤の下宿だった。彼女はこゝ一二日のうちにそこを引き移るので、下宿を使うことにしたのである。下宿人が七八人もいるので、条件はあまり良くはなかった。私は若し小便が出たくなったら、伊藤が病気のときに買って置いた便器を使って、便所へ降りて行かないことにした。便所で同居の人に顔を合わせ、若《も》しもそれが知っている人であったりしたら大変である。
私は二人に「そっちを見てろよ」と云って、室の隅ッこに行き、その硝子《ガラス》の便器に用を足した。伊藤は肩をクッ/\と動かして笑った。
「臭いぞ!」
と、須山は大げさに鼻をつまんで見せた。
「キリンの生《なま》だ!」
私は便器を隅の方へ押してやりながら、そんなことを云って二人を笑わせた。
倉田工業はいよ/\最後の攻勢に出ていることが分った。それは例えば伊藤の報告のうちに出ていた。伊藤と一緒に働いているパラシュートの女工が、今朝入った「マスク」の第三号を読んでいると、四五日前に新しく入ってきた男工が、いきなりそれをふんだくって、その女工を殴《な》ぐりつけたというのである。「マスク」やビラが入ると、みんなはオヤジにこそ用心すれ、同じ仲間には気を許す。それでうっかりしていたのであった。それを見ていた伊藤はどうも様子が変だと思い、その男を調らべてみることにした。あとで掃除婦から、その男工はこの地区の青年団の一員で在郷軍人で
前へ
次へ
全36ページ中20ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
小林 多喜二 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング