毎日のように同志と会っている。が、その場合私たちは喫茶店でも成るべく小さい声で、無駄《むだ》を省いて用事だけを話す。それが終れば直ぐその場所を出て、成るべく早く別れてしまう。これと同じ状態が三百六十五日繰りかえされるわけである。勿論私はそういう日常の生活形態に従って、今迄の自分の生活の型を清算し、今ではそれに慣れている。然し留置場に永くいると、たまらなく「甘《あま》いもの」が食べたくなり、時にはそれが発作的な病気のように来ることがあるのと同様に、私の場合ではその生活の一面性に対する反作用が仲間の顔をみると時には雑談をしようという形をかりて現われるのであるらしい。だが、この気持は普通の生活をしている太田には、何か別な極めて呑気《のんき》な私の性格位にしか映っていないし、時々ビーヤホールなどで大気焔《きえん》を挙げられる彼には、私の気持に立ち入り得る筈がなく、時には残酷にも(!)雑談もせずに帰って行くことがあるのである。
太田は「雑談」をすると云って、工場の色々な女工さんの品さだめをやって帰って行った。彼は何時の間にか、沢山の女工のことを知っているのに驚いた。
「女工の惚《ほ》れ方はブルジョワのお嬢さんのようにネチネチと形式張ったものではなくて、実に直接且つ具体的[#「直接且つ具体的」に傍点]なので困る!」
そんなことを云った。
「直接且つ具体的」というのが可笑《おか》しいので、私たちは笑った……。
二
一度ハッキリと「党」の署名の入ったビラが撒《ま》かれてから、倉田工業では朝夕の出入が急に厳重になった。時期が時期だし、製造しているものが製造しているものなので、会社も狼狽《ろうばい》し始めたのである。私の横で働いている女工が朝キャッといって駈《か》け込んできたことがある。それは工場の出入の横に何時でも薄暗い倉庫の口が開いているが、女が何気なく其処《そこ》を通ると、隅《すみ》の方で黒い着物を頭からかぶった「もの」がムクムクと動き出したというのである、ところが、後でそれが守衛であることが分った。これなどからでも、彼奴等が如何《いか》にアワを食っているか分る。
戦争が始まって若い工場の労働者がドン/\出征して行った。そして他方では軍需品製造の仕事が急激に高まった。このギャップを埋めるために、どの工場でも多量な労働者の雇入を始めなければならなかった。今迄《いままで》はたった一人の労働者を雇うのにも厳重な調査をし、身元保証人をきめた上でなければ駄目だった。が、戦争が始まってからは、それをやっていることが出来なくなった。私たちはその機会をねらった。勿論《もちろん》この場合雇い入れるとしても、それは「臨時工」だし、それに国家「非常時」ということを名目としてドシ/\臨時工を使うことは、結局は労働者全体(工場から見れば本工《ほんこう》を雇うときに)の賃銀を引き下げるのに役立つのである。だが彼奴等は自分たちの利害のこの両方の板挟《いたばさ》みにあって、黒い着物を頭から引ッかぶって見張りをしなければならないような馬鹿げた恥知らずの真似《まね》に出でざるを得ないのである。
黒い着物はどうでもよかったが、私には待ち伏せしている背広だった。私の写真は各警察に廻っている。私は勿論《もちろん》顔の形を変えてはいるが油断はならなかった。十三年前に写した写真が警察にあったゝめに、一度も実際の人物を見たこともないスパイに捕まった同志がある。仲間のあるものは、私に全然「潜《も》ぐる」ことをすゝめる。勿論それに越したことはないが、今迄の経験によると、工場の外にいてその組織を進めて行くことは百倍も困難であって、且《か》つ百分の一の成果も挙がらないのだ。このことは工場にいるメンバーと極めて緊密な連繋《れんけい》がとれている場合にでも云えるのである。我々が「潜ぐる」というのは、隠居するということでは勿論ないし、又単に姿を隠くすとか、逃げ廻わるということでもない。知らない人は或《ある》いはそう考えている。が若《も》しも「潜ぐる」ということがそんなものならば、彼奴等におとなしく[#「おとなしく」に傍点]捕まって留置場でジッとしている方が事実百倍も楽でもあるのだ。「潜ぐる」ということは逆に敵の攻撃から我身を遮断して、最も大胆に且つ断乎として闘争するためである。――勿論仕事の遣《や》り易さとかその他の点から我々が合法的であることは、モッと望ましい。だから私は太田などに云っている。出来るだけ永い間合法性を確保しろ、と。その意味から「潜ぐる」というのは正しい云い方ではなく、私達は決して自分から潜ぐっているのではなくて、彼奴等に潜ぐらされているのに過ぎないのだ……。
そんな状態で、私は敵の前に我と我が身の危険を曝《さ》らしているので、朝夕の背広には実に弱る。この頃そこに立って
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