せ、須山や伊藤に万一のことがあった場合、あとのものが直ちに予定された新しい部署について仕事が一日でも遮断《しゃだん》されることがないように手筈を決めた。須山や伊藤に何か事が起れば、工場にいると直《す》ぐ分るので、その時は新しい細胞が須山と私との連絡場所にやってくることにしてあった。私たちの会合は闘争の司令部なので、どんなことがあっても連絡が絶たれ、そのために一刻を争うときに対策や方針が出ないということは階級的裏切りであった。誰かゞやられ連絡が切れたゝめに、うまく行かなかった――こういう今迄のやり方は、恰《あた》かも我々に最初から弾圧が無いかのような、又はそれを全く予想していないかのような、敗北的な見地に立っている。誰かゞやられるかも知れないのは分り切っているのだ。私たちは、だから最初から二段、三段の準備をして闘争をすゝめて行かなければならぬ。
事実「僚友会」で乱闘をやってから、須山は極度に危くなっていた。須山は今日やられるか、明日やられるかを覚悟して、毎日工場に出ていた。工場なので、仕事をしているときに「一寸《ちょっと》来い」をやられると、それっきりだった。然し組織の可能性が高まっていたので、彼は出ていた。危くなったが、同時に職場の中で或《あ》る程度のことを公然と云える自由を得たし、みんなの信用が出て来ていた。
月末が近づいた。会社はこの三十日か三十一日に首切りをやるらしかった。本工に直すと云っても、まだそれが少しも具体化していないので、皆はようやく疑いをかけてきた。「マスク」で、このやり方がギマンであって、それによって一方では仕事の能率を高め、他方ではみんなの反抗を押しとゞめるためであることを書いたが、その意味がジカに分りかけていた。臨時工が重なので、首切りが発表されてからでは団結力が落ちる。この二三日に事を決めなければならなかった。
私たちはビラやニュースで、戦争に反対しなければならないことをアッピールしてきたが、彼等が一度その首切りのことで立ち上ったら、それはレーニンの言い草ではないが、何故戦争に反抗しなければならないかを「お伽噺《とぎばなし》のような速さで」教える。殊《こと》に軍器を作っている工場であるだけ、ハッキリと意識的な闘争が出来るのだ。――まず事を起さなければならぬ。
私は最後の肚《はら》をきめた。
それは伊藤や須山の影響下のメンバー、新しい細胞に各職場を分担させて一斉《いっせい》に「馘首《かくしゅ》反対」の職場の集会を持たせることだった。そしてそれを成功させるために工場の中で須山に公然たるビラ撒《ま》きをさせる。――伊藤の「しるこや組」に、兄が倉田工業の社員である女工がいた。その女工の口から三十一日ではなくて(三十一日のように思い込ませて置いて)先手を打って二十九日に一斉に首切りをやることが分った。その時は警察ばかりでなく軍隊も出るらしかった。従って是が非でも二十八日[#「二十八日」に傍点]にストライキをやって、こっちが逆に先手を打たなければならない。
ところが、須山には最近やられるらしい危険性がある。伊藤からの報告だったが、ケイサツの私服が事務所のなかゝら一二度出て行くのを見ているし、須山のいる第二工場の入口でよくおやじと立話していた。それがこの一二日なのである。太田がやられてからも、党のビラが二度、「マスク」が二度も入っている。向うが須山をにらんでいることは最早疑うことは出来なかった。それに「共産党」と云えば、何処か知れない「上《うえ》の方に」いたり、或《ある》いは「地の底に」もぐって出没している神様か魔物であるかのように考え、又考え込ませられている。だが本当は須山のように皆から信用のある、自分たちのそばで肩をならべて働いているものがそうであることを、ハッキリと示し、親しみと信頼を起させる必要があった。――私が須山に公然と党のビラを撒かせる決意をしたのは、そこから来ていた。
最後を闘うためには、仮りに須山がいないとしてもそれは他の誰かゞやらなければならない任務だったのだ。陰謀的な仕方ばかりでは、大衆的動員は行われない。見えない組織をクモの巣のようにのばして置いて、そこへ公然たる煽動《せんどう》を持ち込まなければならないのだ。
その最後の対策をたてるために、私たちはエンコすることになった。この案はそこに出され、決められるのだったが――然し須山のことを考えると、私はさすがに心がしめつけ[#「しめつけ」に傍点]られた。党のビラを撒いたとなれば、闘争経歴にもよるが、二三年から四五年の懲役を覚悟しなければならないのだ。何時《いつ》もなら、私は外へ一歩出たら、元とはちがって、一切の空想ごとや考えごとをやめて、四囲《まわり》に注意して歩くことにしていたが(そしてそれは可なり慣れていたが)、その日は、フト
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