触って見た。膝頭[#「膝頭」に傍点]やくるぶし[#「くるぶし」に傍点]が分らないほど腫《むく》んでいた。彼女はそれを畳の上で折りまげてみた。すると、膝頭の肉がかすかにバリバリと音をたてた。それはイヤな音だった。
「一日じゅう立っているッて、つらいものね。」
と云った。
 私は伊藤から聞いたことのある紡績工場のことを話した。「立《た》ち腫《は》れ」がして足がガクつき、どうしても機械についていられない。それを後から靴で蹴《け》られながら働いていることを話した。私はそして、笠原がそういう仕事のつらさ[#「つらさ」に傍点]を、自分だけのつらさで、自分だけがそこから逃れゝば逃れることの出来るつらさと考えず、直ぐそれがプロレタリア全体の縛りつけられているつらさであると考えなければならないと云った。笠原は聞いていて、
「本当に!」と云った。
 私は久し振りに自分の胡坐《あぐら》のなかに、小柄な笠原の身体を抱えこんでやった――彼女は眼をつぶり、そのまゝになっていた……。
 笠原はその後、喫茶店に泊りこむことになった。その経営者は女で、誰かの妾《めかけ》をしているらしかった。女一人で用心が悪いので、そこで飯を食っても同じ給金は出すから寝泊りして欲しいというのだった。それで下宿には暫《しば》らく国へ帰ってくるということにして、出掛けて行った。女主人は高等師範か女子大か出た英語の達者な女で、男は一人でなくて三人位はいるらしく、代る代り他所で泊って、朝かえってきた。大学の教授や有名な小説家や映画俳優がいて、その女は帰ってくると、一々\際《きわ》どいところまで詳しく話して、比較をやったりするので、笠原は弱った。そして昼過ぎの二時三時まで寝ていた。私は朝起きても、めしが無いときは、そこの喫茶店に出掛けて行った。朝のうちはお客さんは殆《ほと》んど無かったので、笠原の食うごはんのように装わして、飯を焚《た》かせ、腹につめこんだ。はじめ笠原が嫌がったが、終《しま》いには「この位のこと当然よ!」と云うようになった。喫茶店の台所は狭くて、ゴタ/\していて、ジュク/\と湿ッぽかった。私はそこにしゃがんで、急いでめしをかッこんだ。
「いゝ恰好《かっこう》だ!」
 笠原は二階の方に注意しながら、私の恰好を見て、声をのんで笑った。
 然し笠原の雰囲気はこの上もなく悪い。女主人の生活もそうだし、女のいる喫茶店にはたゞお茶をのんで帰ってゆくという客ではなく、女を相手に馬鹿話をしてゆく連中が多かった。それに一々調子を合わせて行かなければならない。それらが笠原の心に沁《し》みこんでゆくのが分った。私はまだ笠原の全部を投げ出しているのではない、機会があったらと色々な本を届けたり、出来るだけ色々な話をしてやっていたのだ。だが、彼女は今迄《いままで》よりモット色々なことをおッくうがり、ものごとをしつこく考えてみるということをしなくなった。
 然《しか》し私はそんなに笠原にかゝずり合っていることは出来なかった。仕事の忙がしさが私を引きずッた。倉田工業の情勢が切迫してくるとゝもに、私は笠原のところへはたゞ交通費を貰《もら》いに行くことゝ、飯を食いに行くことだけになって、彼女と話すことは殆《ほと》んどなくなってしまっていた。気付くと、笠原は時々淋しい顔をしていた。が私はとにかく笠原のおかげで日常の活動がうまく出来ているのだから、その意味では彼女と雖《いえど》も仕事の重要な一翼をもっていることになる。私はそのことを笠原に話し、彼女がその自覚をハッキリと持ち、自分の姿勢を崩さないようにするのが必要だと云った。
 だん/\私には、交通費や飯にありつくために出掛けることさえ余裕なくなり、その喫茶店には三日に一度、一週間に一度、十日に一度という風に数少なくなって行った。「地方」「地区」それに「工細」と仕事が重なって居り、一日に十二三回の連絡さえあることがあった。そんな時は朝の九時頃出ると、夜の十時頃までかゝった。下宿に帰ってくると首筋の肉が棒のように固《こ》わばり、頭がギン、ギン痛んだ。私はようやく階段を上がり、そのまゝ畳のうえにうつ伏せになった。私はこの頃、どうしても仰向けにゆッたりと寝ることが出来なくなった。極度の疲労から身体の何処《どこ》かを悪くしているらしく、弱い子供のように直ぐうつ伏せになって寝ていた。私は思い出すのだが、父が秋田で百姓をしていた頃、田から上がってくると、泥まみれの草鞋《わらじ》のまゝ、ヨクうつ伏せになって上り端《はな》で昼寝していた。父は身体に無理をして働いていた。小作料があまり酷なために、村の人が誰も手をつけない石ころ[#「ころ」に傍点]だらけの「野地《やじ》」を余分に耕やしていた。そこから少しでも作《さく》をあげて、暮しの足《たし》にしようとしたのである。そんなことのた
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