、会社がワザとにそうさせているのであって、中には「合い見、互い見」で、仲間になっているものさえある。これらはホンの一二の例でしかない。だが、若《も》しも細胞がそれらの自然発生的なものをモッと大きなものに(組織に)するために努力し且《か》つその中で[#「その中で」に傍点](自分たち四五人の中でなしに)働くことを知ったら、近々の六百人[#「六百人」に傍点]もの首切りに際して工場全体を動かすことは決して不可能なことではないのである。
殊に倉田工業が毒瓦斯《ガス》のマスクやパラシュートや飛行船の側《がわ》などを作る軍需品工場なので、戦争の時期に於《おい》てはそこに於ける組織の重要なことは云う迄もないのだ。私達は戦争が始まってから、軍需品工場(それは重《おも》に金属と化学である)と交通産業(それは軍隊と軍器の輸送をする)に組織の重心を置いて、仕事を進めて来た。そして倉田工業には私や須山、太田、伊藤などが入り込んだわけだった。たゞ、この場合私達はみんな臨時工なので、モウ半月もしないうちに首になる。私達はその間に少しでも組織の根を作って置かなければならない。そのためには本工を獲得することが必要だった。そうすれば私達が首になったとしても、残っている組織の根と緊密な外部からの連繋《れんけい》によって、少しの支障もなく仕事を継続することが出来る。それでどんな小さい話題からでも、常に本工と臨時工を接触させ、その結合をはかる方向をとることを決めた。然し同時に臨時工の間の組織も、彼等が首になって又何処かの工場を探がしあて、それ/″\の職場に入り込んで行く人間なので、それは謂《い》わば胞子だった。従って臨時工の一人々々とは後々までも決して離れてはならなかった。――私達はこれらの仕事を、首になる極く短かい期間にやってしまわなければならなかった。
二三日して須山と街頭を取っていると、向うから須山が奇妙な手の振り方をしてやってきた。彼は何かあると、よくそんな恰好《かっこう》をした。会ってからゆっくり話すということなどは、とても彼には歯がゆいらしく、すぐ動作の上に出してしまった。私は何かあったな、と思った。私は途中の小路を曲がってくると、本当はモウ一つの小路を曲がってからお互いに肩を並らべて歩くことになっているのに、須山はモウ小走りに、やアと後ろから声をかけた。
「太田からレポがあったんだ!」と
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