いに頑固だった。今このような女の同志は必要だった。殊に倉田工業の七〇%(八百人のうち)が女工なので、その意義が大きかったのだ。
私は倉田工業の他に「地方委員会」の仕事もしていたし、ヒゲ[#「ヒゲ」に傍点]のやられたことが殆《ほと》んど確実なので、新たにその仕事の一部分をも引き受けなければならなかった。急に忙がしくなった。が、アジトが確立した上に、工場の生活がなくなったので、充分に日常生活のプランを編成して、今迄よりも精力的に仕事に取りかかることが出来た。
工場にいたときは、工場のなかの毎日々々の「動き」が分り、それは直ぐ次の日のビラに反映させることが出来た。今その仕事は須山と伊藤が責任を引き受けてやっている。最初私は工場から離れた結果を恐れた。ところが、須山たちと密接な組織的連繋《れんけい》を保っていることによって、浮き上る処か、面白いことには逆に、離れてみて須山や伊藤や(そして今迄の私も)眼先だけのことに全部の注意を奪われていて、常にヨリ一歩発展的に物事を見ていなかったということが分るのである。非常に精細な見方をしているようで、実はある固定した枠《わく》内で蚤取眼《のみとりまなこ》を見張っていたと云える。勿論それは私がヨリ展望のきく「地方委員会」などの仕事をしているというところからも来ているが。従って、私は自分の浮き上りということを恐れる必要がないことが分った。
私がまず気付いたことは、八百人もいる工場で、四五人の細胞だけが[#「だけが」に傍点]懸命に(それは全く懸命に!)活動しようとしている傾向だった。それは勿論四五人であろうと、細胞の懸命な活動がなかったら、工場全体を動かすことの出来ないのは当然であるが、その四五人が懸命に働いて工場全体を動かすためには、工場の中の大衆的な組織と結合すること(或いはそういうものを作り、その中で働くこと)を具体的に問題にしなければならない。そのための実際の計画を考顧しなかったなら、矢張りこの四五人の、それだけで少しも発展性のない、独《ひと》り角力《ずもう》に終ってしまうのだ。――ところが、実際には臨時工の女工たちは、私達は折角知り合っても又散り/\バラ/\になってしまう。袖《そで》触れ合うも他生《たしょう》の縁というので、臨時工の「親睦会」のようなものを作ろうとしている。又臨時工と本工とが賃銀のことや待遇のことで仲が悪いのは
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