その短かい間、龍介は「いてくれれば」という気持と「かえっていないでくれれば極りがつく」という気持を同時に感じた。相手が出ぬ前、受話機をかけてしまうかと思い、ためらった、がその時電話口にSの妹が出た。Sはいなかった。彼はがっかりした。今晩はまただめになったと思った。
本屋を出たとき龍介は、ギョッとした。――恵子だ! 明るいところからなので、視覚がハッキリしなかった。が、電気のようにビリンとそういう衝撃が来た。龍介には見なおせなかった。見なおすよりまず自身を女からかくす、それが第一だった。彼は暗がりへ泥濘《ぬかるみ》をはね越すように、身を寄せた。――が恵子ではなかった。ホッとすると、白分が汗をかいていたのを知った。ひとりで赤くなった。
龍介は街を歩く時いつも注意をした。恵子と似た前からくる女を恵子と思い、友だちといっしょに歩いていたときでもよくきゅうに引き返して、小路へ入った。恵子は大柄な、女にはめずらしく前開きの歩き方をするので、そんな特徴の女に会うと、そのたびに間違ってギョッとした。不快でたまらなかった。
龍介の恵子に対する気持はいろいろな経過をふんでからの、それから出てきたもの
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