があった。笛が鳴った。ガタンガタンという音が前方の方から順次に聞えてきて、列車が動きだした。そうなってしまうと、今度はハッキリ自家へ真直に帰らなかったことが、たまらなく悔いられた。取り返しのつかないことのように考えられた。龍介は停車場の前まで戻ってきてみた。待合室はガランとしていてストーヴが燃えていた。その前に、印《しるし》も何も分らない半纒《はんてん》を着て、ところどころ切れて脛《すね》の出ている股引《ももひき》をはいた、赤黒い顔の男が立っていた。汚《よご》れた手拭《てぬぐい》を首にかけていた。龍介は今度は道をかえて、賑《にぎ》やかな通りへ出た。歩きながら、あの汽車で帰ったら、もう家へついて本でも読めたのに、と思った。が一方、そういうはっきりしない自分をくだらなく思った。そしてこんなことはすべて、彼は恵子との事から来ていると思った。が龍介は頭を振った。彼にとって、恵子との記憶は不快だった。記憶の中に生きている自身があまり惨《みじ》めに思えたからだった。
その通りはこころもち上りになっていて、真中を川が流れていた。小さい橋が二、三間おきにいくつもかけられている。人通りが多かった。明る
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