ビラのことは食事中ちっとも誰もの話題にならなかった。
飯が終って、森本が遅く階段を降りてくると、段々のところ/″\や、工場の隅々に、さっきのビラが無雑作にまるめられたり、鼻紙になったり、何枚も捨てられているのを見た。――彼はありありと顔を歪《ゆが》めた。
二
「H・S製罐会社」は運河に臨んでいた。――Y港の西寄りは鉄道省の埋立地になって居り、その一帯に運河が鑿《ほ》られている。運河の水は油や煤煙を浮かべたまゝ澱《よど》んでいた。発動機船や鰈《かれい》のような平らべったい艀《はしけ》が、水門の橋梁の下をくゞって、運河を出たり入ったりする。――「H・S工場」はその一角に超弩級艦のような灰色の図体を据えていた。それは全く軍艦を思わせた。罐は製品倉庫から運河の岸壁で、そのまゝ荷役が出来るようになっていた。
市《まち》の人は「H・S工場」を「H・S王国」とか、「Yのフォード[#「Yのフォード」に傍点]」と呼んでいる。――若い職工は帰るときには、ナッパ服を脱《ぬ》いで、金ボタンのついた襟《えり》の低い学生服と換えた。中年の職工や職長《おやじ》はワイシャツを着て、それにネ
前へ
次へ
全139ページ中5ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
小林 多喜二 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング