一分の隙《すき》もない程に連絡がとれて居り、職場々々の職工たちは、コンヴェイヤーに乗って徐々に動いて来る罐が、自分の前を通り過ぎて行く間に割り当てられた仕事をすればいゝというようになってしまったのですから、たまりません。縁曲機《フレンジャー》なども、もとは職工がついていたが、今使っている機械は自動化[#「自動化」に傍点]されて、一人も要らなくなったんです。
 ――ん。
 ――今工場ではブリキ板を運ぶのに、トロッコを使っていますが、あれも若しコンヴェイヤー装置にでもしてしまうような事があったら、そこでも亦《また》人がオッ出されるわけでしょう。
 ――なるだろう。なるね。
 ――なるんです。製図室や実験室の人達には懸賞金[#「懸賞金」に傍点]がかけられているんです。
 ――うまいもんだ。
 ――その人達は何時でも、アメリカから取り寄せて、モーターやボイラーの写真の入った雑誌を読んでいます。
 ――これから色々僕たちの仕事を進めていく上に、職工のことゝは又別に、会社の所謂《いわゆる》「高等政策」ッてものも是非必要なのだ。で、上の方の奴をその意味で利用することを考えてもらいたいと思うんだ。
 森本はうなずいた。
 ――工場のことでも、私らの知っていることは、ホンのちょッぴりよりありません。
 ――そうだと思うんだ。……それでと……。
 眼が腕時計の上をチラッとすべった。
 ――そうだな……。
 疲れたらしく、石川が口の中だけで、小さくあくび[#「あくび」に傍点]を噛《か》んだ。
 ――ン、それから工場の中の対立関係と云うかな……あるだろうね。
 ――え……職場々々で矢張りあります。仕上場の方は熟練工だし、製罐部の方はどっちかと云えば、女工でも出来る仕事です。それで…………。
 森本がそう云って、頭に手をやった。河田は彼のはにかんだ笑い顔を初めてみたと思った。角ばった、ごッつい[#「ごッつい」に傍点]顔だと思っていたのに、笑うと輪廓《りんかく》がほころんで、眼尻に人なつッこい柔味が浮かんだ。それは思いがけないことだった。
 ――私らなど、何んかすると……金属工なんだぜ、と……その方の大将なんです。それから日雇や荷役方は職工と一寸変です。事務所の社員に対しては、これは何処《どこ》にでもあるでしょう。――女事務員は大抵女学校は出ているので、服装から違うわけです。用事があって、工場を通ることでもあると、女工たちの間はそれア喧しいものです。
 森本は声を出して笑って、
 ――男の方だって、さアーとした服を着ている社員様をみるとね。ところが、会社には勤勉な職工を社員にするという規定があるんです。会社はそれを又実にうまく使っているようです。ずウッと前に一人か二人を思い切って社員にしたことがあります。然しそれはそれッ切りで、それからは仲々したことが無いんですが、そういうのが変にき[#「き」に傍点]いてるらしいんです。
 河田は誰よりも聞いていた。鈴木は然し最後まで一言もしゃべらなかった。拇指《おやゆび》の爪を噛んだり、頭をゴシ/\やったり――それでも所々顔を上げて聞いたゞけだった。
 森本は更に河田から次の会合までの調査事項を受取った。「工場調査票」一号、二号。
 河田はこうしてY市内の「重要工場」を充分に細密に調査していた。それ等の工場の中に組織を作り、その工場の代表者達で、一つの「組織」と「連絡」の機関を作るためだった。「工場代表者会議」がそれだった。――河田はその大きな意図を持って、仕事をやっていたのだ。ある一つの工場だけに問題が起ったとしても、それはその機関を通じて、直ちにそして同時に、Y市全体の工場の問題にすることが出来るのだ。この仕事を地下に沈ませて、強固にジリ/\と進めていく! それこそ、どんな「弾圧」にも耐え得るものとなるだろう。この基礎の上に、根ゆるぎのしない産業別の労働組合を建てることが出来る。――河田は眼を輝かして、そのことを云った。
 ――ブルジョワさえこれと同じことを已《すで》にやってるんだ。工場主たちは「三々会」だとか、「水曜会」だとか、そんな名称でチャンとお互の連絡と結束を計ってるんだ。
 暗い階段を両方の手すり[#「手すり」に傍点]に身体を浮かして、降りてくると、河田も降りてきた。
 ――君は大切な人間なんだ。絶対に警察に顔を知られてはならないんだからね。
 森本は頬に河田の息吹きを感じた。
 ――「工場細胞」として働いてもらおうと思ってるんだ。
 彼の右手は階段の下の、厚く澱んだ闇の中でしっかりと握りしめられていた。
 彼は外へ出た。気をとられていた。小路のドブ板を拾いながら、足は何度も躓《つまず》いた。
 ――工場細胞!
 彼はそれを繰り返えした。繰りかえしているうちに、ジリ/\と底から興奮してくる自分を感じた。

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