。私でもいゝはいゝけれども、私ならそんな事を云うかも知れない女だってことが分ってるでしょう。だから、そうひどく感動は与えないと思うの。然し芳ちゃんなら、へえッ! って皆がね。――煽動効果満点よ! 無理矢理出さすの。
 お君はずるそうに笑った。しめった赤い唇が、耳のすぐそばにあった。
 次に誰が出るか、それをみんな待った。然し人達は意外なものを見た。片隅から出て行ったのは、「女」ではないか、皆は急にナリ[#「ナリ」に傍点]をひそめた。――そして、それがあの「芳ちゃん」であることが分ったとき、抑えられた沈黙が、急に跳ねかえった。ガヤ/\とやかましくなった。
 ――あの女が※[#感嘆符二つ、1−8−75]
 芳ちゃんは壇の上へ、あやふやな足取りで登ると、仲間の女たちのいる方へ少し横を向いて、きちんと両手をさげたまゝ、うつむいて立った。――顔が蒼白《そうはく》だった。
 ――これだけの男の前だぜ。あれで仲々すれ[#「すれ」に傍点]ッてるんだろう。
 横で、ラッカー工場の職工が云っているのを、森本は耳に入れた。
 芳ちゃんはそのまゝの恰好で、顔をあげずに云い出した。聞きとれないので、皆はしゃべることをやめた。耳の後に掌をあてゝ、みんな背延びをした。
 ――……こゝへ上るのに、どんなに覚悟が要るでしょう……私は生意気かも知れません……でも必死です……誰か矢張り先に立って生意気にならなければ、私たちはどうなって行きますか……。
 ――あの温しい芳公がな。
 一句切れ、一句切れ毎に皆の言葉がはさまった。
 ――ねえ、どう?
 お君は云った。
 ――しっかりしている。
 ――私たち皆と仕事をするようになってから、自分でも分るほど変ってきたわ。
 ――……私たちは男からも、会社からも……何時でも特別待遇をうけてきました……。
 言葉が時々途切れた。
 ――女がこういう所に出て、こうやって話が出来るのは……この工場始まって以来のことかと思います……私たちも一人残らず一緒になり……お助けして行きたいと思っています。皆さんも……どうぞ……。
 芳ちゃんが降りると、ワァーッという声と一緒に、拍手が起った。それが何時迄も続いた。お君の云った通り、男工たちに予想以上の反響を与えた。
 ――矢張り、少し温し過ぎる。
 とお君が云った。
 ――芳ちゃんにしたら大出来だ。然し、よくやってくれた。聞いていると、こう涙が出て来るんだ。
 ――そうね。
 お君は自分の眼をこすった。
 ――さ、行って、賞《ほ》めてやらないと。
 お君は女工たちの方へ走って行った。芳ちゃんは皆に取り巻かれていた。見ると、彼女は堪えていた興奮から、自分でワッ! と泣き出してしまっていた。
 ――安心出来ないよ。廻って歩くと、こゝに集ってるのは矢張り「会社存亡組」が多いんだ。仲間の一人が森本に云った。
 ――然し一旦《いったん》こう集ってしまえば、一つの勢い[#「勢い」に傍点]に捲《ま》き込まれて、案外大したことにならないかも知れない。
 ――然し、俺達も危ない機微をつかんで、成功したな。あとはしゃり[#「しゃり」に傍点]無理、こっちへ引きずることだ。
 次に各職場の代表者が一人ずつ、壇に上った。彼等は全部「細胞」だった。一人々々が火のような言葉を投げつけた。「会社存亡の秋《とき》」を名として、全職工を売ろうとしている彼奴等のからくり[#「からくり」に傍点]をそこで徹底的にさらけ出した。――と、職工たちのなかに、風の当った叢林《そうりん》のような動揺がザワ/\と起った。森本はハッとした。然しそれが代る/″\立つ容赦のない暴露で、見る/\別な一つのうねり[#「うねり」に傍点]のような動きに押され出した。
 電燈がついた。薄暗がりの中に、たゞ灰一色に充満していた職工たちが――その集団が――悍しい肩と肩が、瞬間にクッキリと躍《おど》り上った。誰かゞ、
 ――そら、電燈がついたぞ!
 と云った。
 その意味のない言葉は、然し皆の気持ちを急にイキ/\とさせた。

 結束[#「結束」に傍点]はアこの時ぞ。

 突然四五人が足踏みをして歌い出した。バアーを飲み歩いている職工たちは、誰でもその歌位は知っていた。それが今少しの無理もなく口をついて出たのだ。皆が一斉にその方を見たので、彼等は少してれたように、次の歌が澱んだ。然し、太い揃わない声が続いた。

 卑怯者去らばア去れエ。

 森本が壇に上ったのは一番後だった。彼は何も云う必要がなかった。たゞ用意していた「決議文」と「要求書」の内容を説明して、皆の承諾を得ればよかったのだ。これ等のあらゆる細かい処に、河田たちの用意が含まっていた。
 彼がまだ云い終らないうちだった。激しい云い争いが下の階段に起った。――職工は一度に腰掛けを蹴《け》った。一つの勢いを持った
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