上げたように、無数に三角形に騒ぎ立った。風が急にマストを鳴らして吹いて行った。荷物にかけてあるズックの覆《おお》いの裾《すそ》がバタバタとデッキをたたいた。
「兎が飛ぶどオ――兎が!」誰か大声で叫んで、右舷のデッキを走って行った。その声が強い風にすぐちぎり取られて、意味のない叫び声のように聞こえた。
 もう海一面、三角波の頂きが白いしぶき[#「しぶき」に傍点]を飛ばして、無数の兎があたかも大平原を飛び上っているようだった。――それがカムサツカの「突風」の前ブレ[#「前ブレ」に傍点]だった。にわかに底潮の流れが早くなってくる。船が横に身体をずらし始めた。今まで右舷に見えていたカムサツカが、分らないうちに左舷になっていた。――船に居残って仕事をしていた漁夫や水夫は急に周章《あわ》て出した。
 すぐ頭の上で、警笛が鳴り出した。皆は立ち止ったまま、空を仰いだ。すぐ下にいるせいか、斜め後に突き出ている、思わない程太い、湯桶《ゆおけ》のような煙突が、ユキユキと揺れていた。その煙突の腹の独逸《ドイツ》帽のようなホイッスルから鳴る警笛が、荒れ狂っている暴風の中で、何か悲壮に聞えた。――遠く本船をはなれ
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