った。途中、トロッコの枕木につまずいて、巴投《ともえな》げにでもされたように、レールの上にたたきつけられて、又気を失ってしまった。
その事を聞いていた若い漁夫は、
「さあ、ここだってそう大して変らないが……」と云った。
彼は坑夫独特な、まばゆいような、黄色ッぽく艶《つや》のない眼差《まなざし》を漁夫の上にじっと置いて、黙っていた。
秋田、青森、岩手から来た「百姓の漁夫」のうちでは、大きく安坐《あぐら》をかいて、両手をはすがいに股《また》に差しこんでムシッ[#「ムシッ」に傍点]としているのや、膝《ひざ》を抱えこんで柱によりかかりながら、無心に皆が酒を飲んでいるのや、勝手にしゃべり合っているのに聞き入っているのがある。――朝暗いうちから畑に出て、それで食えないで、追払われてくる者達だった。長男一人を残して――それでもまだ食えなかった――女は工場の女工に、次男も三男も何処かへ出て働かなければならない。鍋《なべ》で豆をえ[#「え」に傍点]るように、余った人間はドシドシ土地からハネ飛ばされて、市に流れて出てきた。彼等はみんな「金を残して」内地《くに》に帰ることを考えている。然《しか》し働いてきて、一度陸を踏む、するとモチ[#「モチ」に傍点]を踏みつけた小鳥のように、函館や小樽でバタバタやる。そうすれば、まるッきり簡単に「生れた時」とちっとも変らない赤裸になって、おっぽり出された。内地《くに》へ帰れなくなる。彼等は、身寄りのない雪の北海道で「越年《おつねん》」するために、自分の身体を手鼻位の値で「売らなければならない」――彼等はそれを何度繰りかえしても、出来の悪い子供のように、次の年には又平気で(?)同じことをやってのけた。
菓子折を背負った沖売の女や、薬屋、それに日用品を持った商人が入ってきた。真中の離島のように区切られている所に、それぞれの品物を広げた。皆は四方の棚の上下の寝床から身体を乗り出して、ひやかしたり、笑談《じょうだん》を云った。
「お菓子《がし》めえか、ええ、ねっちゃよ?」
「あッ、もッちょこい!」沖売の女が頓狂《とんきょう》な声を出して、ハネ上った。「人の尻《しり》さ手ばやったりして、いけすかない、この男!」
菓子で口をモグモグさせていた男が、皆の視線が自分に集ったことにテレて、ゲラゲラ笑った。
「この女子《あねこ》、可愛《めんこ》いな」
便所から、片側の壁に片手をつきながら、危い足取りで帰ってきた酔払いが、通りすがりに、赤黒くプクンとしている女の頬《ほっ》ぺたをつッついた。
「何んだね」
「怒んなよ。――この女子《あねこ》ば抱いて寝てやるべよ」
そう云って、女におどけた恰好をした。皆が笑った。
「おい饅頭《まんじゅう》、饅頭!」
ずウと隅《すみ》の方から誰か大声で叫んだ。
「ハアイ……」こんな処ではめずらしい女のよく通る澄んだ声で返事をした。「幾《なん》ぼですか?」
「幾《なん》ぼ? 二つもあったら不具《かたわ》だべよ。――お饅頭、お饅頭!」――急にワッと笑い声が起った。
「この前、竹田って男が、あの沖売の女ば無理矢理に誰もいねえどこさ引っ張り込んで行ったんだとよ。んだけ、面白いんでないか。何んぼ、どうやっても駄目だって云うんだ……」酔った若い男だった。「……猿又《さるまた》はいてるんだとよ。竹田がいきなりそれを力一杯にさき取ってしまったんだども、まだ下にはいてるッて云うんでねか。――三枚もはいてたとよ……」男が頸《くび》を縮めて笑い出した。
その男は冬の間はゴム靴会社の職工だった。春になり仕事が無くなると、カムサツカへ出稼《でかせ》ぎに出た。どっちの仕事も「季節労働」なので、(北海道の仕事は殆《ほと》んどそれだった)イザ夜業となると、ブッ続けに続けられた。「もう三年も生きれたら有難い」と云っていた。粗製ゴムのような、死んだ色の膚をしていた。
漁夫の仲間には、北海道の奥地の開墾地や、鉄道敷設の土工部屋へ「蛸《たこ》」に売られたことのあるものや、各地を食いつめた「渡り者」や、酒だけ飲めば何もかもなく、ただそれでいいものなどがいた。青森辺の善良な村長さんに選ばれてきた「何も知らない」「木の根ッこのように」正直な百姓もその中に交っている。――そして、こういうてんでんばらばら[#「てんでんばらばら」に傍点]のもの等を集めることが、雇うものにとって、この上なく都合のいいことだった。(函館の労働組合は蟹工船、カムサツカ行の漁夫のなかに組織者を入れることに死物狂いになっていた。青森、秋田の組合などとも連絡をとって。――それを何より恐れていた[#「それを何より恐れていた」に傍点])
糊《のり》のついた真白い、上衣《うわぎ》の丈《たけ》の短い服を着た給仕《ボーイ》が、「とも」のサロンに、ビール、果物、洋酒のコップを
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