ない。眼も何かを見た瞬間、そのまま硬《こ》わばったように動かない。――その情景は、漁夫達の胸を、眼《ま》のあたり見ていられない凄《すご》さで、えぐり刻んだ。
 又ロープが投げられた。始めゼンマイ形に――それから鰻《うなぎ》のようにロープの先きがのびたかと思うと――その端が、それを捕えようと両手をあげている漁夫の首根を、横なぐりにたたきつけた。皆は「アッ!」と叫んだ。漁夫はいきなり、そのままの恰好《かっこう》で横倒しにされた。が、つかんだ! ――ロープはギリギリとしまると、水のしたたりをしぼり落して、一直線に張った。こっちで見ていた漁夫達は、思わず肩から力を抜いた。
 ステイは絶え間なく、風の具合で、高くなったり、遠くなったり鳴っていた。夕方になるまでに二艘を残して、それでも全部帰ってくることが出来た。どの漁夫も本船のデッキを踏むと、それっきり気を失いかけた。一艘は水船になってしまったために、錨《いかり》を投げ込んで、漁夫が別の川崎に移って、帰ってきた。他の一艘は漁夫共に全然行衛不明だった。
 監督はブリブリしていた。何度も漁夫の部屋へ降りて来て、又上って行った。皆は焼き殺すような憎悪《ぞうお》に満ちた視線で、だまって、その度に見送った。
 翌日、川崎の捜索かたがた、蟹《かに》の後を追って、本船が移動することになった。「人間の五、六匹何んでもないけれども、川崎がいたまし[#「いたまし」に傍点]」かったからだった。

 朝早くから、機関部が急がしかった。錨を上げる震動が、錨室と背中合せになっている漁夫を煎豆《いりまめ》のようにハネ飛ばした。サイドの鉄板がボロボロになって、その度にこぼれ落ちた。――博光丸は北緯五十一度五分の所まで、錨をなげてきた第一号川崎船を捜索した。結氷の砕片《かけら》が生きもののように、ゆるい波のうねりの間々に、ひょいひょい身体《からだ》を見せて流れていた。が、所々その砕けた氷が見る限りの大きな集団をなして、あぶく[#「あぶく」に傍点]を出しながら、船を見る見るうちに真中に取囲んでしまう、そんなことがあった。氷は湯気のような水蒸気をたてていた。と、扇風機にでも吹かれるように「寒気」が襲ってきた。船のあらゆる部分が急にカリッ、カリッと鳴り出すと、水に濡れていた甲板や手すりに、氷が張ってしまった。船腹は白粉《おしろい》でもふりかけたように、霜の結晶でキラキラに光った。水夫や漁夫は両頬を抑《おさ》えながら、甲板を走った。船は後に長く、曠野《こうや》の一本道のような跡をのこして、つき進んだ。
 川崎船は中々見つからない。
 九時近い頃になって、ブリッジから、前方に川崎船が一艘浮かんでいるのを発見した。それが分ると、監督は「畜生、やっと分りゃがったど。畜生!」デッキを走って歩いて、喜んだ。すぐ発動機が降ろされた。が、それは探がしていた第一号ではなかった。それよりは、もっと新しい第36[#「36」は縦中横]号と番号の打たれてあるものだった。明らかに×××丸のものらしい鉄の浮標《ヴイ》がつけられていた。それで見ると×××丸が何処《どこ》かへ移動する時に、元の位置を知るために、そうして置いて行ったものだった。
 浅川は川崎船の胴体を指先きで、トントンたたいていた。
「これアどうしてバン[#「バン」に傍点]としたもんだ」ニャッと笑った。「引いて行くんだ」
 そして第36[#「36」は縦中横]号川崎船はウインチで、博光丸のブリッジに引きあげられた。川崎は身体を空でゆすりながら、雫《しずく》をバジャバジャ甲板に落した。「一《ひと》働きをしてきた」そんな大様な態度で、釣り上がって行く川崎を見ながら、監督が、
「大したもんだ。大したもんだ!」と、独言《ひとりごと》した。
 網さばき[#「さばき」に傍点]をやりながら、漁夫がそれを見ていた。「何んだ泥棒猫! チエンでも切れて、野郎の頭さたたき落ちればえんだ」
 監督は仕事をしている彼らの一人々々を、そこから何かえぐり出すような眼付きで、見下しながら、側を通って行った。そして大工をせっかちなドラ声で呼んだ。
 すると、別な方のハッチの口から、大工が顔を出した。
「何んです」
 見当|外《はず》れをした監督は、振り返ると、怒りッぽく、「何んです? ――馬鹿。番号をけずるんだ。カンナ、カンナ」
 大工は分らない顔をした。
「あんぽんたん、来い!」
 肩巾《かたはば》の広い監督のあとから、鋸《のこぎり》の柄を腰にさして、カンナを持った小柄な大工が、びっこでも引いているような危い足取りで、甲板を渡って行った。――川崎船の第36[#「36」は縦中横]号の「3」がカンナでけずり落されて、「第六[#「第六」に傍点]号川崎船」になってしまった。
「これでよし。これでよし。うッはア、様《ざま》見やがれ!」監督
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