えして、その度《たび》に引っこんだとか、引っこまないとか、彼等の気持は瞬間明るくなったり、暗くなったりした。脛をなでてみると、弱い電気に触れるように、しびれるのが二、三人出てきた。棚《たな》の端から両足をブラ下げて、膝頭を手刀で打って、足が飛び上るか、どうかを試した。それに悪いことには、「通じ」が四日も五日も無くなっていた。学生の一人が医者に通じ薬を貰いに行った。帰ってきた学生は、興奮から青い顔をしていた。――「そんなぜいたく[#「ぜいたく」に傍点]な薬なんて無いとよ」
「んだべ。船医なんてん[#「ん」に傍点]なものよ」側《そば》で聞いていた古い漁夫が云った。
「何処《どこ》の医者も同じだよ。俺のいたところの会社の医者もん[#「ん」に傍点]だった」坑山の漁夫だった。
皆がゴロゴロ横になっていたとき、監督が入ってきた。
「皆、寝たか――一寸《ちょっと》聞け。秩父丸が沈没したっていう無電が入ったんだ。生死の詳しいことは分らないそうだ」唇をゆがめて、唾《つば》をチェッとはいた。癖だった。
学生は給仕からきいたことが、すぐ頭にきた。自分が現に手をかけて[#「手をかけて」に傍点]殺した四、五百人の労働者の生命のことを、平気な顔で云う、海にタタキ込んでやっても足りない奴だ、と思った。皆はムクムクと頭をあげた。急に、ザワザワお互に話し出した。浅川はそれだけ云うと、左肩だけを前の方に振って、出て行った。
行衛《ゆくえ》の分らなかった雑夫が、二日前にボイラーの側から出てきたところをつかまった。二日隠れていたけれども、腹が減って、腹が減って、どうにも出来ず、出て来たのだった。捕《つか》んだのは中年過ぎの漁夫だった。若い漁夫がその漁夫をなぐりつけると云って、怒った。
「うるさい奴だ、煙草のみでもないのに、煙草の味が分るか」バットを二個手に入れた漁夫はうまそうに飲んでいた。
雑夫は監督にシャツ一枚にされると、二つあるうちの一つの方の便所に押し込まれて、表から錠を下ろされた。初め、皆は便所へ行くのを嫌った。隣りで泣きわめく声が、とても聞いていられなかった。二日目にはその声がかすれて、ヒエ、ヒエしていた。そして、そのわめきが間を置くようになった。その日の終り頃に、仕事を終った漁夫が、気掛りで直《す》ぐ便所のところへ行ったが、もうドアーを内側から叩《たた》きつける音もしていなかった。こっちから合図をしても、それが返って来なかった。――その遅く、睾隠《きんかく》しに片手をもたれかけて、便所紙の箱に頭を入れ、うつぶせに倒れていた宮口が、出されてきた。唇の色が青インキをつけたように、ハッキリ死んでいた。
朝は寒かった。明るくなってはいたが、まだ三時だった。かじかんだ手を懐《ふところ》につッこみながら、背を円るくして起き上ってきた。監督は雑夫や漁夫、水夫、火夫の室まで見廻って歩いて、風邪《かぜ》をひいているものも、病気のものも、かまわず引きずり出した。
風は無かったが、甲板で仕事をしていると、手と足の先きが擂粉木《すりこぎ》のように感覚が無くなった。雑夫長が大声で悪態をつきながら、十四、五人の雑夫を工場に追い込んでいた。彼の持っている竹の先きには皮がついていた。それは工場で怠《なま》けているものを機械の枠越《わくご》しに、向う側でもなぐりつけることが出来るように、造られていた。
「昨夜《ゆうべ》出されたきりで、もの[#「もの」に傍点]も云えない宮口を今朝からどうしても働かさなけアならないって、さっき足で蹴《け》ってるんだよ」
学生上りになじんでいる弱々しい身体の雑夫が、雑夫長の顔を見い、見いそのことを知らせた。
「どうしても動かないんで、とうとうあきらめたらしいんだけど」
其処《そこ》へ、監督が身体をワクワクふるわせている雑夫を後からグイ、グイ突きながら、押して来た。寒い雨に濡《ぬ》れながら仕事をさせられたために、その雑夫は風邪をひき、それから肋膜《ろくまく》を悪くしていた。寒くないときでも、始終身体をふるわしていた。子供らしくない皺《しわ》を眉《まゆ》の間に刻んで、血の気のない薄い唇を妙にゆがめて、疳《かん》のピリピリしているような眼差《まなざ》しをしていた。彼が寒さに堪えられなくなって、ボイラーの室にウロウロしていたところを、見付けられたのだった。
出漁のために、川崎船をウインチから降していた漁夫達は、その二人を何も云えず、見送っていた。四十位の漁夫は、見ていられないという風に、顔をそむけると、イヤイヤをするように頭をゆるく二、三度振った。
「風邪をひいてもらったり、不貞寝《ふてね》をされてもらったりするために、高い金払って連れて来たんじゃないんだぜ。――馬鹿野郎、余計なものを見なくたっていい!」
監督が甲板を棍棒《こんぼう》で叩いた。
「
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