過ぎから、海は大嵐になった。そして夕方近くになって、だんだん静かになった。
「監督をたたきのめす!」そんなことがどうして出来るもんか、そう思っていた。ところが! 自分達の「手」でそれをやってのけたのだ。普段おどかし看板にしていたピストルさえ打てなかったではないか。皆はウキウキと噪《はしゃ》いでいた。――代表達は頭を集めて、これからの色々な対策を相談した。「色よい返事」が来なかったら、「覚えてろ!」と思った。
 薄暗くなった頃だった。ハッチの入口で、見張りをしていた漁夫が、駆逐艦がやってきたのを見た。――周章《あわ》てて「糞壺」に馳《か》け込んだ。
「しまったッ※[#感嘆符二つ、1−8−75]」学生の一人がバネのようにはね上った。見る見る顔の色が変った。
「感違いするなよ」吃りが笑い出した。「この、俺達の状態や立場、それに要求などを、士官達に詳しく説明して援助をうけたら、かえってこのストライキは有利に解決がつく。分りきったことだ」
 外のものも、「それアそうだ」と同意した。
「我帝国の軍艦だ。俺達国民の味方だろう」
「いや、いや……」学生は手を振った。余程のショックを受けたらしく、唇を震わせている。言葉が吃《ども》った。
「国民の味方だって? ……いやいや……」
「馬鹿な! ――国民の味方でない帝国の軍艦[#「国民の味方でない帝国の軍艦」に傍点]、そんな理窟なんてある筈《はず》があるか※[#感嘆符疑問符、1−8−78]」
「駆逐艦が来た!」「駆逐艦が来た!」という興奮が学生の言葉を無理矢理にもみ潰《つぶ》してしまった。
 皆はドヤドヤと「糞壺」から甲板にかけ上った。そして声を揃《そろ》えていきなり、「帝国軍艦万歳」を叫んだ。
 タラップの昇降口には、顔と手にホータイをした監督や船長と向い合って[#「向い合って」に傍点]、吃り、芝浦、威張んな、学生、水、火夫等が立った。薄暗いので、ハッキリ分らなかったが、駆逐艦からは三艘汽艇が出た。それが横付けになった。一五、六人の水兵が一杯つまっていた。それが一度にタラップを上ってきた。
 呀《あ》ッ! 着剣《つけけん》をしているではないか! そして帽子の顎紐《あごひも》をかけている!
「しまった!」そう心の中で叫んだのは、吃りだった。
 次の汽艇からも十五、六人。その次の汽艇からも、やっぱり銃の先きに、着剣した、顎紐をかけた水兵! それ等は海賊船にでも躍《おど》り込むように、ドカドカッと上ってくると、漁夫や水、火夫を取り囲んでしまった。
「しまった! 畜生やりゃがったな!」
 芝浦も、水、火夫の代表も初めて叫んだ。
「ざま、見やがれ!」――監督だった。ストライキになってからの、監督の不思議な態度が初めて分った。だが、遅かった。
「有無」を云わせない。「不届者」「不忠者」「露助の真似する売国奴」そう罵倒《ばとう》されて、代表の九人が銃剣を擬されたまま、駆逐艦に護送されてしまった。それは皆がワケ[#「ワケ」に傍点]が分らず、ぼんやり見とれている、その短い間だった。全く、有無を云わせなかった。――一枚の新聞紙が燃えてしまうのを見ているより、他愛なかった。
 ――簡単に「片付いてしまった」
「俺達には、俺達しか、味方が無《ね》えんだな。始めて分った」
「帝国軍艦だなんて、大きな事を云ったって大金持の手先[#「手先」に傍点]でねえか、国民の味方? おかしいや、糞喰らえだ!」
 水兵達は万一を考えて、三日船にいた。その間中、上官連は、毎晩サロンで、監督達と一緒に酔払っていた。――「そんなものさ」
 いくら漁夫達でも、今度という今度こそ、「誰が敵」であるか、そしてそれ等が(全く意外にも[#「全く意外にも」に傍点]!)どういう風に、お互が繋がり合っているか、ということが身をもって知らされた。
 毎年の例で、漁期が終りそうになると、蟹罐詰の「献上品[#「献上品」に傍点]」を作ることになっていた。然し「乱暴にも」何時でも、別に斎戒|沐浴《もくよく》して作るわけでもなかった。その度に、漁夫達は監督をひどい事をするものだ、と思って来た。――だが、今度は異《ちが》ってしまっていた。
「俺達の本当の血と肉を搾《しぼ》り上げて作るものだ。フン、さぞうめえこったろ。食ってしまってから、腹痛でも起さねばいいさ」
 皆そんな気持で作った。
「石ころ[#「ころ」に傍点]でも入れておけ! かまうもんか!」

「俺達には、俺達しか味方が無えんだ」
 それは今では、皆の心の底の方へ、底の方へ、と深く入り込んで行った。――「今に見ろ!」
 然し「今に見ろ」を百遍繰りかえして、それが何になるか。――ストライキが惨《みじ》めに敗れてから、仕事は「畜生、思い知ったか」とばかりに、過酷になった。それは今までの過酷にもう一つ更に加えられた監督の復仇
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