、普段一度も云ったこともない言葉をしゃべり出して、自分でどまついてしまった。つまる度《たび》に赤くなり、ナッパ服の裾《すそ》を引張ってみたり、すり切れた穴のところに手を入れてみたり、ソワソワした。皆はそれに気付くとデッキを足踏みして笑った。
「……俺アもうやめる。然し、諸君、彼奴等はブンなぐってしまうべよ!」と云って、壇を下りた。
 ワザと、皆が大げさに拍手した。
「其処だけでよかったんだ」後で誰かひやかした。それで皆は一度にワッと笑い出してしまった。
 火夫は、夏の真最中に、ボイラーの柄の長いシャベルを使うときよりも、汗をびっしょりかいて、足元さえ頼りなくなっていた。降りて来たとき、「俺何しゃべったかな?」と仲間にきいた。
 学生が肩をたたいて、「いい、いい」と云って笑った。
「お前えだ、悪いのア。別にいたのによ、俺でなくたって……」
「皆さん、私達は今日の来るのを待っていたんです」――壇には一五、六歳の雑夫が立っていた。
「皆さんも知っている、私達の友達がこの工船の中で、どんなに苦しめられ、半殺しにされたか。夜になって薄ッぺらい布団に包まってから、家のことを思い出して、よく私達は泣きました。此処に集っているどの雑夫にも聞いてみて下さい。一晩だって泣かない人はいないのです。そして又一人だって、身体に生キズのないものはいないのです。もう、こんな事が三日も続けば、キット死んでしまう人もいます。――ちょっとでも金のある家《うち》ならば、まだ学校に行けて、無邪気に遊んでいれる年頃の私達は、こんなに遠く……(声がかすれる。吃り出す。抑《おさ》えられたように静かになった)然し、もういいんです。大丈夫です。大人の人に助けて貰って、私達は憎い憎い、彼奴等に仕返ししてやることが出来るのです……」
 それは嵐のような拍手を惹《ひ》き起した。手を夢中にたたきながら、眼尻を太い指先きで、ソッと拭《ぬぐ》っている中年過ぎた漁夫がいた。
 学生や、吃りは、皆の名前をかいた誓約書を廻して、捺印《なついん》を貰って歩いた。
 学生二人、吃り、威張んな、芝浦、火夫三名、水夫三名が、「要求条項」と「誓約書」を持って、船長室に出掛けること、その時には表で示威運動をすることが決った。――陸の場合のように、住所がチリチリバラバラになっていないこと、それに下地が充分にあったことが、スラスラと運ばせた。ウソ[#「ウソ」に傍点]のように、スラスラ纏った。
「おかしいな、何んだって、あの鬼顔出さないんだべ」
「やっき[#「やっき」に傍点]になって、得意のピストルでも打つかと思ってたどもな」
 三百人は吃りの音頭で、一斉に「ストライキ万歳」を三度叫んだ。学生が「監督の野郎、この声聞いて震えてるだろう!」と笑った。――船長室へ押しかけた。
 監督は片手にピストルを持ったまま、代表を迎えた。
 船長、雑夫長、工場代表……などが、今までたしかに何か相談をしていたらしいことがハッキリ分るそのままの恰好で、迎えた。監督は落付いていた。
 入ってゆくと、
「やったな」とニヤニヤ笑った。
 外では、三百人が重なり合って、大声をあげ、ドタ、ドタ足踏みをしていた。監督は「うるさい奴だ!」とひくい声で云った。が、それ等には気もかけない様子だった代表が興奮して云うのを一通りきいてから、「要求条項」と、三百人の「誓約書」を形式的にチラチラ見ると、「後悔しないか」と、拍子抜けするほど、ゆっくり云った。
「馬鹿野郎ッ!」吃りがいきなり監督の鼻ッ面を殴《なぐ》りつけるように怒鳴った。
「そうか、いい。――後悔しないんだな」
 そう云って、それから一寸《ちょっと》調子をかえた。「じゃ、聞け。いいか。明日の朝にならないうちに、色よい返事[#「色よい返事」に傍点]をしてやるから」――だが、云うより早かった、芝浦が監督のピストルをタタキ落すと、拳骨で頬《ほお》をなぐりつけた。監督がハッと思って、顔を押えた瞬間、吃りがキノコ[#「キノコ」に傍点]のような円椅子で横なぐりに足をさらった。監督の身体はテーブルに引っかかって、他愛なく横倒れになった。その上に四本の足を空にして、テーブルがひっくりかえって行った。
「色よい返事だ? この野郎、フザけるな! 生命にかけての問題だんだ!」
 芝浦は巾《はば》の広い肩をけわしく動かした。水夫、火夫、学生が二人をとめた。船長室の窓が凄《すご》い音を立てて壊《こわ》れた。その瞬間、「殺しちまい!」「打ッ殺せ!」「のせ! のしちまえ!」外からの叫び声が急に大きくなって、ハッキリ聞えてきた。――何時の間にか、船長や雑夫長や工場代表が室の片隅《かたすみ》の方へ、固まり合って棒杭のようにつッ立っていた。顔の色がなかった。
 ドアーを壊して、漁夫や、水、火夫が雪崩《なだ》れ込んできた。

 昼
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