人の漁夫と一緒に陸へ行った。帰ってきたとき、若い漁夫がコッソリ日本文字で印刷した「赤化宣伝」のパンフレットやビラを沢山持ってきた。「日本人が沢山こういうことをやっているよ」と云った。――自分達の賃銀や、労働時間の長さのことや、会社のゴッソリした金儲《かねもう》けのことや、ストライキのことなどが書かれているので、皆は面白がって、お互に読んだり、ワケを聞き合ったりした。然し、中にはそれに書いてある文句に、かえって反撥《はんぱつ》を感じて、こんな恐ろしいことなんか「日本人」に出来るか、というものがいた。
 が、「俺アこれが本当だと思うんだが」と、ビラを持って学生上りのところへ訊《き》きに来た漁夫もいた。
「本当だよ。少し話大きいどもな」
「んだって、こうでもしなかったら、浅川の性《しょ》ッ骨《ぽね》直るかな」と笑った。「それに、彼奴《あいつ》等からはモットひどいめに合わされてるから、これで当り前だべよ!」
 漁夫達は、飛んでもないものだ、と云いながら、その「赤化運動」に好奇心を持ち出していた。
 嵐の時もそうだが、霧が深くなると、川崎船を呼ぶために、本船では絶え間なしに汽笛を鳴らした。巾《はば》広い、牛の啼声《なきごえ》のような汽笛が、水のように濃くこめた霧の中を一時間も二時間もなった。――然しそれでも、うまく帰って来れない川崎船があった。ところが、そんな時、仕事の苦しさからワザと見当を失った振りをして、カムサツカに漂流したものがあった。秘密に時々あった。ロシアの領海内に入って、漁をするようになってから、予《あらかじ》め陸に見当をつけて置くと、案外容易く、その漂流が出来た。その連中も「赤化」のことを聞いてくるものがあった。
 ――何時でも会社は漁夫を雇うのに細心の注意を払った。募集地の村長さんや、署長さんに頼んで「模範青年」を連れてくる。労働組合などに関心のない、云いなりになる労働者を選ぶ。「抜け目なく[#「抜け目なく」に傍点]」万事好都合に! 然し、蟹工船の「仕事」は、今では丁度逆に[#「逆に」に傍点]、それ等の労働者を団結――組織させようとしていた。いくら「抜け目のない」資本家でも、この不思議な行方[#「不思議な行方」に傍点]までには気付いていなかった。それは、皮肉にも、未組織の労働者、手のつけられない「飲んだくれ」労働者をワザワザ集めて、団結することを教えてくれているようなものだった。

        九

 監督は周章《あわ》て出した。
 漁期の過ぎてゆくその毎年の割に比べて、蟹の高はハッキリ減っていた。他の船の様子をきいてみても、昨年よりはもっと成績がいいらしかった。二千|函《ばこ》は遅れている。――監督は、これではもう今までのように「お釈迦《しゃか》様」のようにしていたって駄目だ、と思った。
 本船は移動することにした。監督は絶えず無線電信を盗みきかせ、他の船の網でもかまわずドンドン上げさせた。二十浬《かいり》ほど南下して、最初に上げた渋網には、蟹がモリモリと網の目に足をひっかけて、かかっていた。たしかに××丸のものだった。
「君のお陰だ」と、彼は監督らしくなく、局長の肩をたたいた。
 網を上げているところを見付けられて、発動機が放々の態《てい》で逃げてくることもあった。他船の網を手当り次第に上げるようになって、仕事が尻上りに忙しくなった。
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仕事を少しでも怠《なま》けたと見るときには大焼き[#「大焼き」に傍点]を入れる。
組をなして怠けたものにはカムサツカ[#「カムサツカ」に傍点]体操をさせる。
罰として賃銀棒引き、
函館へ帰ったら、警察に引き渡す。
いやしくも監督に対し、少しの反抗を示すときは銃殺[#「銃殺」に傍点]されるものと思うべし。
                     浅川監督
                     雑夫長
[#ここで字下げ終わり]

 この大きなビラが工場の降り口に貼《は》られた。監督は弾をつめッ放しにしたピストルを始終持っていた。飛んでもない時に、皆の仕事をしている頭の上で、鴎《かもめ》や船の何処《どこ》かに見当をつけて、「示威運動」のように打った。ギョッとする漁夫を見て、ニヤニヤ笑った。それは全く何かの拍子に「本当」に打ち殺されそうな不気味な感じを皆にひらめかした。
 水夫、火夫も完全に動員された。勝手に使いまわされた。船長はそれに対して一言も云えなかった。船長は「看板」になってさえいれば、それで立派な一役だった。前にあったことだった――領海内に入って漁をするために、船を入れるように船長が強要された。船長は船長としての公の立場から[#「公の立場から」に傍点]、それを犯すことは出来ないと頑張《がんば》った。
「勝手にしやがれ!」「頼まないや!」と云っ
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