で、寝る前に、何かの話が思いがけなく色々の方へ移って行った。その時ひょいと、船頭が威張ったことを云ってしまった。それは別に威張ったことではないが、「平」漁夫にはムッときた。相手の平漁夫が、そして、少し酔っていた。
「何んだって?」いきなり怒鳴った。「手前《てめ》え、何んだ。あまり威張ったことを云わねえ方がええんだで。漁に出たとき、俺達四、五人でお前えを海の中さタタキ落す位朝飯前だんだ。――それッ切りだべよ。カムサツカだど。お前えがどうやって死んだって、誰が分るッて!」
 そうは云ったものはいない。それをガラガラな大声でどなり立ててしまった。誰も何も云わない。今まで話していた外のことも、そこでプッつり切れてしまった。
 然《しか》し、こういうようなことは、調子よく跳《は》ね上った空元気《からげんき》だけの言葉ではなかった。それは今まで「屈従」しか知らなかった漁夫を、全く思いがけずに背から、とてつもない力で突きのめした。突きのめされて、漁夫は初め戸惑いしたようにウロウロした。それが知られずにいた自分の力[#「自分の力」に傍点]だ、ということを知らずに。
 ――そんなことが「俺達に[#「俺達に」に傍点]」出来るんだろうか? 然し成る程出来るんだ。
 そう分ると、今度は不思議な魅力になって、反抗的な気持が皆の心に喰い込んで行った。今まで、残酷極まる労働[#「残酷極まる労働」に傍点]で搾《しぼ》り抜かれていた事が、かえってその為にはこの上ない良い地盤だった。――こうなれば、監督も糞もあったものでない! 皆愉快がった。一旦この気持をつかむと、不意に、懐中電燈を差しつけられたように、自分達の蛆虫《うじむし》そのままの生活がアリアリと見えてきた。
「威張んな、この野郎」この言葉が皆の間で流行《はや》り出した。何かすると「威張んな、この野郎」と云った。別なことにでも、すぐそれを使った。――威張る野郎は、然し漁夫には一人もいなかった。
 それと似たことが一度、二度となくある。その度《たび》毎に漁夫達は「分って」行った。そして、それが重なってゆくうちに、そんな事で漁夫達の中から何時《いつ》でも表の方へ押し出されてくる、きまった三、四人が出来てきた。それは誰かが決めたのでなく、本当は又、きまったのでもなかった。ただ、何か起ったり又しなければならなくなったりすると、その三、四人の意見が皆のと一致したし、それで皆もその通り動くようになった。――学生上りが二人程、吃《ども》りの漁夫、「威張んな」の漁夫などがそれだった。
 学生が鉛筆をなめ、なめ、一晩中腹|這《ば》いになって、紙に何か書いていた。――それは学生の「発案」だった。
[#ここから2字下げ]
      発案(責任者の図)
  A       B         C
  |       |         |
二人の学生 ┐ ┌雑夫の方一人  国別にして、各々そのうちの餓鬼大将を一人ずつ
      │ │川崎船の方二人 各川崎船に二人ずつ
吃りの漁夫 │ │水夫の方一人┐
      │ │      │ 水、火夫の諸君
「威張んな」┘ └火夫の方一人┘
   A――――→B――――→C→┌全部の┐
    ←―――― ←―――― ←└諸君 ┘
[#ここで字下げ終わり]

 学生はどんなもんだいと云った。どんな事がAから起ろうが、Cから起ろうが、電気より早く、ぬかりなく「全体の問題」にすることが出来る、と威張った。それが、そして一通り決められた。――実際は、それはそう容易《たやす》くは行われなかったが。
「殺されたくないものは来れ[#「殺されたくないものは来れ」に傍点]!」 ――その学生上りの得意の宣伝語だった。毛利元就《もうりもとなり》の弓矢を折る話や、内務省かのポスターで見たことのある「綱引き」の例をもってきた。「俺達四、五人いれば、船頭の一人位海の中へタタキ落すなんか朝飯前だ。元気を出すんだ」
「一人と一人じゃ駄目だ。危い。だが、あっちは船長から何からを皆んな入れて十人にならない。ところがこっちは四百人に近い。四百人が一緒になれば、もうこっちのものだ。十人に四百人! 相撲になるなら、やってみろ、だ」そして最後に「殺されたくないものは来れ[#「殺されたくないものは来れ」に傍点]!」だった。――どんな「ボンクラ」でも「飲んだくれ」でも、自分達が半殺しにされるような生活をさせられていることは分っていたし、(現に、眼の前で殺されてしまった仲間のいることも分っている)それに、苦しまぎれにやったチョコチョコした「サボ」が案外効き目があったので学生上りや吃りのいうことも、よく聞き入れられた。
 一週間程前の大嵐で、発動機船がスクリュウを毀《こわ》してしまった。それで修繕のために、雑夫長が下船して、四、五
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