て、監督等が自分達で、船を領海内に転錨《てんびょう》さしてしまった。ところが、それが露国の監視船に見付けられて、追跡された。そして訊問《じんもん》になり、自分がしどろもどろになると、「卑怯《ひきょう》」にも退却してしまった。「そういう一切のことは、船としては勿論《もちろん》船長がお答えすべきですから……」無理矢理に押しつけてしまった。全く、この看板は、だから必要だった。それだけでよかった。
そのことがあってから、船長は船を函館に帰そうと何辺も思った。が、それをそうさせない力が――資本家の力が、やっぱり船長をつかんでいた。
「この船全体が会社のものなんだ、分ったか!」ウァハハハハハと、口を三角にゆがめて、背のびするように、無遠慮に大きく笑った。
――「糞壺」に帰ってくると、吃《ども》りの漁夫は仰向けにでんぐり[#「でんぐり」に傍点]返った。残念で、残念で、たまらなかった。漁夫達は、彼や学生などの方を気の毒そうに見るが、何も云えない程ぐッしゃりつぶされてしまっていた。学生の作った組織も反古《ほご》のように、役に立たなかった。――それでも学生は割合に元気を保っていた。
「何かあったら跳ね起きるんだ。その代り、その何か[#「何か」に傍点]をうまくつかむことだ」と云った。
「これでも跳ね起きられるかな」――威張んなの漁夫だった。
「かな――? 馬鹿。こっちは人数が多いんだ。恐れることはないさ。それに彼奴等が無茶なことをすればする程、今のうちこそ内へ、内へとこもっているが、火薬よりも強い不平と不満が皆の心の中に、つまりにいいだけつまっているんだ。――俺はそいつを頼りにしているんだ」
「道具立てはいいな」威張んなは「糞壺」の中をグルグル見廻して、
「そんな奴等がいるかな。どれも、これも…………」
愚痴ッぽく云った。
「俺達から[#「俺達から」に傍点]愚痴ッぽかったら――もう、最後だよ」
「見れ、お前えだけだ、元気のええのア。――今度事件起こしてみれ、生命《いのち》がけだ」
学生は暗い顔をした。「そうさ……」と云った。
監督は手下を連れて、夜三回まわってきた。三、四人固まっていると、怒鳴りつけた。それでも、まだ足りなく、秘密に自分の手下を「糞壺」に寝らせた。
――「鎖」が、ただ、眼に見えないだけの違いだった。皆の足は歩くときには、吋太《インチぶと》の鎖を現実に後に引きずッているように重かった。
「俺ア、キット殺されるべよ」
「ん。んでも、どうせ殺されるッて分ったら、その時アやるよ」
芝浦の漁夫が、
「馬鹿!」と、横から怒鳴りつけた。「殺されるッて分ったら? 馬鹿ア、何時《いつ》だ、それア。――今[#「今」に傍点]、殺されているんでねえか。小刻みによ。彼奴等はな、上手なんだ。ピストルは今にもうつように、何時でも持っているが、なかなかそんなヘマ[#「ヘマ」に傍点]はしないんだ。あれア「手」なんだ。――分るか。彼奴等は、俺達を殺せば、自分等の方で損するんだ。目的は――本当の目的は、俺達をウンと働かせて、締木《しめぎ》にかけて、ギイギイ搾り上げて、しこたま儲けることなんだ。そいつを今俺達は毎日やられてるんだ。――どうだ、この滅茶苦茶は。まるで蚕に食われている桑の葉のように、俺達の身体が殺されているんだ」
「んだな!」
「んだな、も糞もあるもんか」厚い掌《てのひら》に、煙草の火を転がした。「ま、待ってくれ、今に、畜生!」
あまり南下して、身体《がら》の小さい女蟹ばかり多くなったので、場所を北の方へ移動することになった。それで皆は残業をさせられて、少し早目に(久し振りに!)仕事が終った。
皆が「糞壺」に降りて来た。
「元気ねえな」芝浦だった。
「こら、足ば見てけれや。ガク、ガクッて、段ば降りれなくなったで」
「気の毒だ。それでもまだ一生懸命働いてやろうッてんだから」
「誰が! ――仕方ねんだべよ」
芝浦が笑った。「殺される時も、仕方がねえか[#「仕方がねえか」に傍点]」
「…………」
「まあ、このまま行けば、お前ここ四、五日だな」
相手は拍手に、イヤな顔をして、黄色ッぽくムクンだ片方の頬《ほお》と眼蓋《まぶた》をゆがめた。そして、だまって自分の棚《たな》のところへ行くと、端へ膝《ひざ》から下の足をブラ下げて、関節を掌刀《てがたな》でたたいた。
――下で、芝浦が手を振りながら、しゃべっていた。吃《ども》りが、身体をゆすりながら、相槌《あいづち》を打った。
「……いいか、まア仮りに金持が金を出して作ったから、船があるとしてもいいさ。水夫と火夫がいなかったら動くか。蟹が海の底に何億っているさ。仮りにだ、色々な仕度《したく》をして、此処まで出掛けてくるのに、金持が金をだせたからとしてもいいさ。俺達が働かなかったら、一匹の蟹だって、金持の懐
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