へな/\と坐りこんでしまひたくさへなるのを感じた。すぐ咽喉が乾いてたまらなかつた。
 それから二日ばかりした。佐多は立番の巡査に起された。來た! と思つた。立ち上るには立ち上つた。然し彼の身體は丸太棒のやうに、自分の意思では動かなかつた。彼は、巡査に何か云はふとした。然し彼の顎ががくりと下がつて、思はず「あふは、あふは、あふは……」赤子がするやうな發音が出た。
 巡査は分らない顏をして、今迄フウ、フウとはいてゐた煙草の煙の輪をとめて、「どうした?」と云つた。

 龍吉の取調べは――初め、彼が學校に出てゐたとき、三回程檢束された事があつた、けれども、その時は彼から見れば、こつちがかへつて恐縮するやうなものだつた。「お前」とか「貴樣」さう云ひはしなかつた。「貴方」だつた。それに彼等が龍吉からかへつて色々な事を教はる、といふ態度さへあつた。それが、然し、龍吉が學校を出て運動の「表」へ出かゝるやうになつてから、だん/\變つて行つた。「貴方」と「お前」をどまついて混用したり、又露骨に今までの態度をかへた。然しそれでもインテリゲンチヤである彼には、渡とか鈴本とか工藤などに對するのとちがつて、ずウと丁寧であつた。それには龍吉は苦笑した。渡は「小川さんはねえ、警察で一度ウンとこさなぐられたら、もつと凄く有望になるんだがな。」と云つたことがあつた。渡はかういふ事では、何時でもズパ/\云つた。
「君より感受性が鋭敏だから、結局同じことさ。」
 彼は今迄たゞ一寸したおどかしの程度に平手しか食つてゐなかつた。が、今度の事件では渡などと殆んど同じに警察から龍吉がにらまれた。それが「凄く」彼に打ち當つてきた。
 取調室の天井を渡つてゐる梁に滑車がついてゐて、それの兩方にロープが下がつてゐた。龍吉は×××××(以下五行削除)彼の×、××××××××××なつた。眼は眞赤にふくれ上がつて、飛び出した[#「飛び出した」は底本では「飛ひ出した」]。
「助けてくれ!」彼が叫んだ。
 それが終ると、××に手をつツこませた。
 龍吉は××で×××××××××結果「××れた」幾人もの同志を知つてゐた。直接には自分の周圍に、それから新聞や雜誌で、それ等が[#「それ等が」は底本では「それ等か」]慘めな××になつて引渡されるとき、警察では、その男が「自×」したとか、きまつてさう云つた。「そんな筈」の絶對にない事が分つてゐても、然しそれでは何處へ訴へてよかつたか?――裁判所? だが、外見はどうあらうと、それだつて警察とすつかりグルになつてるではないか。××の内では何をされても、だからどうにも出來なかつた。これは面白い事ではないか。
「これが今度の大立物さ」×××が云つてゐる。彼はグラ/\する頭で、さういふのを聞いてゐた。
 次ぎに、龍吉は着物をぬがせられて、三本一緒にした××で×××つけられた。身體全體がピリンと縮んだ。そして、その端が胸の方へ反動で力一杯まくれこんで、×××ひこんだ。それがかへつてこたえた。彼のメリヤスの冬シヤツがズタ/\に細かく切れてしまつた。――彼が半分以上も自分ので×××××××××を、やうやく巡査の肩に半ば保たせて、よろめきながら廊下を歸つてゆくとき、彼が一度も「××」を受けた事のなかつた前に、それを考へ恐れ、その慘酷さに心から慘めにされてゐた事が、然し實際になつてみたとき、ちつともさうではなかつた事を知つた。自分がその當事者にいよ/\なり、そしてそれが今自分に加へられる――と思つたとき、不思議な「抗力?」が人間の身體にあつた事を知つた。××てくれ、××てくれと云ふ、然し本當のところ、その瞬間慘酷だとか、苦しいとか、さういふ事はちつとも働かなかつた。云へば、それは「極度」に、さうだ極度に張り切つた緊張だつた。「仲々×ぬもんでない。」これはそのまゝ本當だつた。龍吉はさう思つた。然し彼がゴロツキの浮浪人や乞食などの入つてゐる留置場に入れられたとき、――入れられた、とフト意識したとき、それツ切り彼は××失つてしまつた。
 次の朝、龍吉はひどい熱を出した。付添の年のふけた巡査が額を濡れた手拭で冷やしてくれた。始終寢言をしてゐた。一日して、それが直つた。ゴロツキの浮浪人が、
「お前えさんのウワ言は仲々どうして。」
 龍吉はギヨツとして、相手に皆云はせず。「何んか、何んか?」と、せきこんだ。彼は付添えの巡査のゐる處で、飛んでもない事を云つてしまつたのではないか、とギクリとした。外國では、取調べに、ウワ言をする液體の注射をして、それに乘じて證言を取る、さういふ馬鹿げた方法さへ行はれてゐる事を、龍吉は何か本で讀んで知つてゐた。
「ねえ、仲々×ぬもんか。――一寸すると、又仲々×ぬもんか、さ。何んだか知らないが、何十回もそれツばつかりウワ言を云つてゐたよ。」
 龍吉は肩に力を入れて、思はず息を殺してゐたが、ホツとすると、急に不自然に大聲で笑ひ出した。が、「痛た、痛た、痛た……。」と、笑聲が身體に響いて、思はず叫んだ。

 演武場では[#「演武場では」は底本では「濱武場では」]、齋藤が×××れたので氣が×ひかけてゐる、と云つてゐた。それは、齋藤が取調べられて、「お定まり」の××が始まらうとしたとき、突然「ワツ※[#感嘆符二つ、1−8−75]」と立ち上ると、彼は室の中を手と足と胴を一杯に振つて、「ワア――、ワア――、ワア――ツ※[#感嘆符二つ、1−8−75]」と大聲で叫びながら走り出した。巡査等は初め氣をとられて、棒杭のやうにつツ立つてゐた。皆は變な無氣味を感じた。××、それが頭に來た瞬間、カアツとのぼせたのだ、氣が狂つたのだ、――さう思ふと、誰も手を出せなかつた。
「嘘《たら》だ。やれツ!」
 司法主任が鉛筆を逆に持つて、聽取書の上にキリ/\ともみこみながら、低い、冷たい聲で云つた。巡査等は無器用な舞臺の兵卒のやうに、あばれ馬のやうに狂つてゐる齋藤を取りかこんだ。(以下十五行削除)
 齋藤はそのまゝ十日も取調べをうけなかつた。そのうち三日程演武場にゐて、監房へ移されて行つた。が、××があつてから、齋藤は今迄よりは眼に見えて、もつと元氣になつた。然しその元氣に何處か普通でない――自然でない處があつた。何か話しかけて行つても、うつかりしてゐる事が多く、めづらしく靜かにしてゐる時には、獨りでブツ/\云つてゐた。

 澤山の勞働者が次から次へと、現場着のまゝ連れられてきた。毎日――打ツ續けに十日も二十日も、その大檢擧が續いた。非番の巡査は例外なしに一日五十錢で狩り出された。そして朝から眞夜中まで、身體がコンニヤクのやうになる程馳けずり廻はされた。過勞のために、巡査は付添の方に廻はると、すぐ居眠りをした。そして又自分達が檢擧してきた者達に向つてさへ、巡査の生活の苦しさを洩らした。彼等によつて××をされたり、又如何に彼等が反動的なものであるかといふ事を色々な機會にハツキリ知らされてゐる者等にとつて、さういふ巡査を見せつけられることは「意外」な事だつた。いや、さうだ、矢張り「そこ」では一致してゐるのだ。たゞ、彼等は色々な方法で目隱しをされ、その上催眠術の中にうま[#「うま」に傍点]/\と落されてゐるの[#「ゐるの」は底本では「ゐの」]だつた。では、どうすればよかつたか? 誰が一體その目隱しを取り除けてやり、彼等の催眠術を覺ましてやらなければならないのだ?――これア案外さう俺達の敵ではなかつたぞ、龍吉も他の人達と同じやうにさう思つた。
 終ひには、檢擧された人の方で、酷き使はれてゐる××が可哀相で見てゐられない位になつた。どんなボロ工場だつて、そんなに[#「そんなに」は底本では「ぞんなに」]「しぼり」はしなかつた。
「もう、どうでもいゝから、とにかく決つてくれゝばいゝと思ふよ。」頭の毛の薄い巡査が、青いトゲ/\した顏をして、龍吉に云つた。「ねえ、君、これで子供の顏を二十日も――えゝ、二十日だよ――二十日も見ないんだから、冗談ぢやないよ。」
「いや、本當に恐縮ですな。」
「非番に出ると――いや、引張り出されると、五十錢だ。それぢや晝と晩飯で無くなつて、結局たゞで働かせられてる事になるんだ、――實際は飯代に足りないんだよ、人を馬鹿にしてゐる。」
「ねえ、水戸部さん。(龍吉は名を知つてゐた。)貴方にこんな事を云ふのはどうか、と思ふんですが、僕等のやつてゐることつて云ふのは、つまり皆んな「そこ」から來てゐるんですよ。」
 水戸部巡査は急に聲をひそめた。(以下四十七行削除)
 龍吉は明かに興奮してゐた。これ等のことこそ重大な事だ、と思つた。彼は、今初めて見るやうに、水戸部巡査を見てみた。蜜柑箱を立てた臺に、廊下の方を向いて腰を下してゐる、厚い巾の廣い、然し圓るく前こゞみになつてゐる肩の巡査は、彼には、手をぎつしり握りしめてやりたい親しみをもつて見えた。頭のフケか、ホコリの目立つ肩章のある古洋服の肩を叩いて、「おい、ねえ君。」さう云ひたい衝動を、彼は心一杯にワク/\と感じてゐた。

         九

 龍吉が演武場から隔離される二三日前の事だつた。夜の十時頃、組合で知り合つてゐた木下といふのが、巡査と一緒に演武場に入つてきた。そして二人で、彼がそこに殘して[#「殘して」は底本では「殘しに」]行つた持物を※[#「纏」の「广」に代えて「厂」、37−11]めにかゝつた。龍吉が眼を覺ました。
「オ。」龍吉が低く聲をかけた。
 木下は龍吉の方を見ると、頭をかすかに振つたやうだつた。――「札幌廻はしだ。」木下が低くさう云つた。
 龍吉は「う?」と云つたきり、いきなり何かに心臟をグツと一握りにされた、と思つた。札幌廻はり[#「札幌廻はり」に傍点]、といふのは十中の八、九もう觀念しなければならない事を意味してゐたからだつた。[#「だつた。」は底本では「だつた」]
 演武場を出るときは、髮を長くのばしてゐたのを知つてゐた龍吉は、彼が地膚の青いのが分る程短く刈つて[#「刈つて」は底本では「刈つつて」]ゐたのに氣付いた。「頭は?」
 木下はフト暗い顏をした。
「あんまり、グン/\やられるんで刈つてしまつた。」
 持物が※[#「纏」の「广」に代えて「厂」、37−20]つてしまうと、巡査が木下をうながした。出しなに、木下は然し、何かためらつたやうに巡査に云つてゐる、すると、巡査は龍吉のところへ來て、面倒臭さうな調子で「木下が、煙草があつたら君から貰つてくれないかつて云つてゐるんだが。」と云つた。
 さうだ! 氣付いた。――組合でも、木下は煙草だけは皆から一本、二本と集めて、何時でも甘さうにのんでゐた。札幌へ護送される木下のために、せめて煙草だけでも贈ることが出來ることを龍吉は喜んだ。それが何よりだつた。彼は、まるで、周章てた人のやうに、自分の持物のところへ走つて、急いでバツトの箱を取り出した。所が何んといふ事だ、一箇しか無い、しかも、それが輕いぢやないか! 意地の惡い時には、惡いものだ。三本! たつた三本しか入つてゐなかつた。
「君、三本しか無いんだ。」
「いゝ、いゝ! 本當に澤山! 有難う、有難う。」木下は子供が頂戴々々をするときのやうに、兩手を半ば重ねて出した。
「一本で澤山だ!」
 側に立つてゐた巡査がいきなり二本取り上げてしまつた。瞬間二人は、二人とも「もの」も云へず、ぼんやりした。
「のませてやる事すら、過ぎた事なんだぜ!」
 何が「ぜ」だ! 龍吉は身體が底からブル/\顫はさつてくる興奮を感じた。然し、
「お願ひです。僅か三本です。それに木下君は特に煙草……。」
 みんな云はせなかつた。「誰が、僅か三本だつて云ふんだ。」
 木下は石のやうな固い表情をして、だまつてゐた。たつた一本のバツトをのせたきりになつてゐる彼の掌が分らない程に顫えてゐた。――二人が出て行つてしまつてから、龍吉は木下の氣持を考へ、半分自分でも泣きながら巡査の返へしてよこしたバツトを粉々にむしつて[#「むしつて」に傍点]しまつた。
「えツ糞、えツ糞、糞ツ! 糞ツ! 糞ツ! 糞ツ※[#感嘆符二つ、1−8−75]」

 三日になり、
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