持の隅から隅まで浸してゆくやうに思はれた。一つの集團が、同じ方向へ、同じやうに動いてゆくとき、そのあらゆる差別を押しつぶし、押しのけて必ず出てくる、たつた一つの氣持だつた。「關羽」の鈴本も、渡も、「ドンキ」の阪西も、齋藤も、石田も、又新米の柴田も、その他の組合員も、たつた一つの集團の意識の中に――同じ方向を持つた、同じ色彩の、調子の、強度の意識の中に、グツ、グツと入り込んでしまつてゐた。「それ[#「それ」に傍点]」は何時でも、かういふ時に起る不思議な――だが、然しそれこそ無くてはならない、「それ」があればこそ、プロレタリアの「鐵」の團結が可能である――氣持だつた。
 今、この九人の組合員は、九人といふ一つ、一つの數ではなしに、それ自身何かたつた一つのタンク[#「タンク」に傍点]に變つてゐた。彼等は互に腕と腕をガツシリ組み合せ、肩と肩をくつつけ、暗い然し鋭い眼で前方を見据え、――それは恰かも彼等のたつた一つの目標に向つて――「××」に向つて、前進してゐるかの如く、見えた。

         三

 お惠は夫があんな風にして連れて行かれてから、何處かガランとした家の中にゐる事が、たまらなかつた。自家《うち》へ時々やつてくる組合の書記の工藤の家へ行つてみやうと思つた。それに、組合の人達の樣子や、今度のことの内容や、その範圍なども知りたかつた。然し工藤もやつぱり檢束されてゐた。
 ――工藤の家へ、警官が踏みこんだ時は、家の中は眞暗だつた。警官は、「オイ、起きろツ!」と云ひながら、電燈のつる下がつてゐるあたりを、手さぐりした。三人ゐる子供が眼をさまして、大きな聲で一度に泣き出した。電燈の位置をさがしてゐる警官は「保名」でも踊る時のやうな手付きをして、空をさがしてゐた。と、闇の中でパチン、パチンとスウイツチをひねる音がした。「どうしたんだ、えゝ?」
「電燈はつかんよ。」
 それまで何も云はないでゐた工藤は、警官の周章てゝゐるのとは反對に、憎いほど落付いた聲で云つた。
 工藤の家は電燈料が[#「電燈料が」は底本では「電燈科が」]滯つて、二ヶ月も前から電燈のスウイツチが切られてしまつてゐた。然し、と云つて、ローソクを買ふ金も、ランプにする金もなかつた。夜になると、子供を隣りの家に遊ばせにやつたり、妻のお由は組合に出掛けたりして、六十日も暗闇の中で過ごしてゐた。「明るい電燈、明るい家庭。」暗い電燈さへ無い彼等には、そんなものは糞喰えだつた。
「逃げないから大丈夫。」さう云つて、工藤が笑つた。
 お由は泣いてゐる子供に、「誰でもないよ。何時も來る人さ。何んでもない[#「何んでもない」は底本では「何んでなもい」]、さ、泣くんでない。」と云つてゐた。子供は一人づゝ[#「づゝ」は底本では「つゝ」]泣きやんで行つた。工藤の子供達は巡査などに慣れてさへゐた。組合の人達は、冗談半分だけれども、お由が自分の子供等に正しい「階級教育」をほどこしてゐるといふので、評判を立てゝゐた。が、お由は勿論自分では何か理窟があつて、さうしてゐるのではなかつた。――お由は秋田のドン[#「ドン」に傍点]百姓の末娘に生れた。彼女は小學校を二年でやめると、十四の春迄地主の家へ子守にやられた。そこでお由は意地の惡い、氣むづかしい背中の子供と、所嫌はずなぐりつける男の主人と、その主人よりもつと慘忍な女主人にいぢめられ、こづき廻はされた。五年の間、一日の休みもなく、コキ[#「コキ」に傍点]使はれた。そして、やうやく其處から自家へ歸つてくると、畑へ出された。一日中蝦夷のやうに腰を二つに折り、そのために血が頭に下がつてきて、頬とまぶたが充血して腫れ上つた。十七の時、隣り村の工藤に嫁入した。が、その次の次の日から(!)――丁度秋の穫入れが終つた頃なので――工藤と二人で近所の土工部屋にトロツコ押しに出掛けて行かなければならなかつた。雜巾切れのやうに疲れ切つて歸つてくると、家の中の仕事は山のやうに溜つてゐた。お由は打ちのめされた人のやうに、クラツ/\する身體でトロツコと臺所の間を往き來した。ジリ/\燒けつく日中に、トロツコを押しながら、始めての夫婦生活の疲勞と月經から氣を失つて、仰向けにぶツ倒れた事があつた。
 子供が生れてから、生活は尻上りに、やけに苦しくなつてきた。そんな時になつてどうすればいゝか分らなくなつた工藤は、自分とお由とで行李を一つづゝ背負つて、暗くなつてから村を出てしまつた。暗い、吹雪いた、山の鳴る夜だつた。そして北海道へ渡つてきた。
 小樽で二人はある鐵工場に入つた。が、北海道と内地とは、人が云ふほどの大した異ひはなかつた。こゝも矢張りお由達には住みいゝ處ではなかつた。では、何處へ行けばよかつたらう。だが、何處へ行くところがある! プロレタリアは何處へ行つたつて、同じことだ……。
 お由の手は、自分の身體には不釣合に大きく蟹のはさみのやうに、兩肩にブラ下つてゐた。皮膚は樹の根のやうにザラ/\して、汚れが眞黒に染み込んでゐた。それは、もう、一生取れないだらう。子供が背中をかゆがると、お由は爪でなくて、そのザラした[#「ザラした」はママ]掌で何時も撫でゝやつた。それだけで子供は掻かれたよりも氣持よがつた。
 お由はその長い間の自分の生活から、身をもつて「憎くて、憎くてたまらない人間」を、ハツキリと知つてゐた。殊に夫が組合に入り、運動をするやうになつてから、それ等のことが、もつとはつきりした形でお由の頭に入つてきた。
 工藤は組合の仕事で一週間も家へ歸れない事が何度もあつた。お由は自分で――自分一人で働いて、子供のことまでしてゆかなければならなかつた。が、今迄とは異つた氣持で、お由は仕事が出來た。お由は濱へ出て石炭擔ぎをやつたり、倉庫で澱粉や雜穀の袋縫ひをしたり、輸出青豌豆の手撰工場へ行つたりした。末の子が腹にゐたとき、十ヶ月の大きな腹をして、炭俵を艀から倉庫へ擔いだ[#「擔いだ」は底本では「擔いた」]。
 家の障子は骨ばかりになつた。寒い風が吹き込むやうになつても、然し障子紙など買ふ金がなかつたので、組合から「無産者新聞」や「勞働農民新聞」の古いのを貰つてきて、それを貼つた。煽動的なストライキの記事とか、大きな「火」のやうな見出しが斜めになつたり、倒になつたり、半分隱れたりして貼られた。お由は暇な時、ボツリ、ボツリそれを讀んでゐた。子供から「これ何アに、あれ何アに」と聞れるたびに、それを讀んできかせた。家の壁には選擧の時に使ひ餘つたポスター、ビラ、雜誌の廣告などをべた/\貼りつけた。渡や鈴本が工藤の家にやつてくると「ほオ!」と何度もグル/\見廻はつて歩いて、「我等の家[#「我等の家」に傍点]」だなんて云つて、喜んだ。
 ……工藤は起き上ると、身仕度をした。身支度をしながら、工藤は今度は長くなると思つた。さうなれば、一錢も殘つてゐない一家がその間、どうして暮して行くか、それが重く、じめ/\と心にのし[#「のし」に傍点]かゝつてきた。これは、こんな場合、何時でも同じやうに感ずる氣持だつた。然し何度感じやうが、組合で皆と一緒に興奮してゐる時はいゝ、然しさうでない時、子供や妻の生活を思ひ、やり切れなく胸をしめつけられた。
 お由は手傳つて、用意をしてやると、
「ぢや、行つといで。」と云つた。
「ウム。」
「今度は何んだの。當てがある?」
 彼は默つてゐた。が、
「どうだ、やつて行けるか。長くなるかも知れないど。」
「後?――大丈夫。」
 お由は何時もの明るい、元氣のいゝ調子で云つた。
 漠然ではあるが、何のことか分つてゐる一番上の子供が、
「お父《どう》、行《え》つてお出《え》で。」と云つた。
「こんな家へくると、とてもたまつたもんでない。」警官が驚いた。「まるで當り前のことみたいに、一家そろつて行つてお出で、だと!」
「こんな事で一々泣いたり、ほえたりしてゐた日にや、俺達の運動なんか出來るもんでないよ。」
 工藤は暗い、ジメ/\さを取り除くために、毒ツぽく云ひ返した。
「この野郎、要らねえ事をしやべると、たゝきのめすぞ。」
 警官が變に息をはづませて、どなつた。
 彼は妻に何か云ひ殘して行きたいと思つた。然し口の重い彼は、どう云つていゝか一寸分らなかつた。妻が又苦勞するのか、と思ふと、(勿論それは自分の妻だけではないが、)膝のあたりから、妙に力が拔ける感じがした。
「本當、どうにかやつて行けるから。」
 お由は夫の顏を見て、もう一度さう云つた。夫はだまつて、うなづいた。
 戸がしまつた。お由は皆の外を行く足音を、しばらく立つてきいてゐた。
 自分達の社會が來る迄、こんな事[#「こんな事」に傍点]が何百遍あつたとしても、足りない事をお由は知つてゐた。さういふ社會を來させるために、自分達は次に來る者達の「踏臺」になつて、××××にならなければならないかも知れない。蟻の大軍が移住をする時、前方に渡らなければならない河があると、先頭の方の蟻がドシ/\川に入つて、重り合つて溺死し後から來る者をその自分達の屍を橋に渡してやる、といふことを聞いた事があつた。その先頭の蟻こそ自分達でなければならない、組合の若い人達がよくその話をした。そしてそれこそ必要なことだつた。
「まだ、まだねえ!」
 さうお由がお惠に云つた。
 お惠は半ば[#「半ば」は底本では「半ぱ」]暗い顏をしながら、然し興奮してお由にうなづいてみせた。

         四

 今度の檢擧が案外廣い範圍に渡つてゐることをお惠はお由から知らされた。××鐵工場の職工が仕事場から、ナツパ服のまゝ連れて行かれたり、濱の自由勞働者や倉庫の勞働者が毎日五人、十人と取調べに引かれたり、學生も確か二、三人は入つてゐた。

 龍吉の家で毎火曜の晩開かれる研究會に來てゐた會社員の佐多も、二日遲れて引張られて行つた。
 佐多は龍吉達に時々自分の家のことをこぼしてゐた。――家には、佐多だけを頼りにしてゐる母親が一人ゐた。母親は息子が運動の方へ入つてゆくのを「身震ひ」して悲しんでゐた。母親は彼を高商まであげるのに八年間も、身體を使つて、使つて、使ひ切らしてしまつた。彼はまるで母親の身體を少しづゝ食つて生きて來たやうなものだつた。然し母親は、佐多が學校を出て、銀行員か會社員になつたら、自分は息子の月給を自慢をしたり、長い一日をのん氣にお茶を飮みながら、近所の人と話し込んだり、一年に一回位は内地の郷里に遊びに行つたり、ボーナスが入つたら温泉にもたまに行けるやうになるだらう………今迄のやうに、毎月の拂ひにオド/\したり、言譯をしたり、質屋へ通つたり、差押へをされたりしなくてもすむ。それはまるで、お湯から上つてきて、襦袢一枚で縁側に横になるやうなこの上ない幸福[#「幸福」に傍点]なことに思はれた。母親は長い、長い(――實際それは長過ぎた氣がした。)苦しさの中で、たゞ、それ等のことばかりを考へ、豫想し、それだけの理由で苦しさに堪えてきた。
 毎日會社に通ふ。――月末にちやん/\と月給が入つてくる。――このキチンとした生活を長い間母親は待つてゐたのだ。佐多が學校を出て、就職がきまり、最初の月給を「袋のまゝ」受取つたとき、母親はそれを膝の上にのせたまゝ、ぢいツとしてゐた。が、しばらくすると母親の身體が、見えない程小刻みに、顫えてきた。母親は何度も、何度も[#「何度も」は底本では「何も」]袋を自分の額に押しあてた。佐多は矢張り變な興奮と、逆に「有りふれて、古い、古い。」と思ひながら、二階に上つた。暫すると、下で佛壇の鈴《りん》のなる音がした。
 晩飯まで本を讀んで、下りてくると、食卓には何時もより御馳走があつた。佛壇には[#「佛壇には」は底本では「佛檀には」]ローソクが明るくついて、袋がのつてゐる。「お父さんに上げておいたよ。」と母が云つた。
 それまではよかつた。
 母親は、今までなかつた色々な寫眞が、佐多の二階の室にだん/\貼られてきたのに氣を使ひだした。
「これは何んといふ人?」
 母親が佐多の机のすぐ前の壁にかゝつてゐるアイヌのやうな、ひげ[#「ひげ」に傍点
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