れたり、學生も確か二、三人は入つてゐた。

 龍吉の家で毎火曜の晩開かれる研究會に來てゐた會社員の佐多も、二日遲れて引張られて行つた。
 佐多は龍吉達に時々自分の家のことをこぼしてゐた。――家には、佐多だけを頼りにしてゐる母親が一人ゐた。母親は息子が運動の方へ入つてゆくのを「身震ひ」して悲しんでゐた。母親は彼を高商まであげるのに八年間も、身體を使つて、使つて、使ひ切らしてしまつた。彼はまるで母親の身體を少しづゝ食つて生きて來たやうなものだつた。然し母親は、佐多が學校を出て、銀行員か會社員になつたら、自分は息子の月給を自慢をしたり、長い一日をのん氣にお茶を飮みながら、近所の人と話し込んだり、一年に一回位は内地の郷里に遊びに行つたり、ボーナスが入つたら温泉にもたまに行けるやうになるだらう………今迄のやうに、毎月の拂ひにオド/\したり、言譯をしたり、質屋へ通つたり、差押へをされたりしなくてもすむ。それはまるで、お湯から上つてきて、襦袢一枚で縁側に横になるやうなこの上ない幸福[#「幸福」に傍点]なことに思はれた。母親は長い、長い(――實際それは長過ぎた氣がした。)苦しさの中で、たゞ、それ等のこ
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