お由の手は、自分の身體には不釣合に大きく蟹のはさみのやうに、兩肩にブラ下つてゐた。皮膚は樹の根のやうにザラ/\して、汚れが眞黒に染み込んでゐた。それは、もう、一生取れないだらう。子供が背中をかゆがると、お由は爪でなくて、そのザラした[#「ザラした」はママ]掌で何時も撫でゝやつた。それだけで子供は掻かれたよりも氣持よがつた。
 お由はその長い間の自分の生活から、身をもつて「憎くて、憎くてたまらない人間」を、ハツキリと知つてゐた。殊に夫が組合に入り、運動をするやうになつてから、それ等のことが、もつとはつきりした形でお由の頭に入つてきた。
 工藤は組合の仕事で一週間も家へ歸れない事が何度もあつた。お由は自分で――自分一人で働いて、子供のことまでしてゆかなければならなかつた。が、今迄とは異つた氣持で、お由は仕事が出來た。お由は濱へ出て石炭擔ぎをやつたり、倉庫で澱粉や雜穀の袋縫ひをしたり、輸出青豌豆の手撰工場へ行つたりした。末の子が腹にゐたとき、十ヶ月の大きな腹をして、炭俵を艀から倉庫へ擔いだ[#「擔いだ」は底本では「擔いた」]。
 家の障子は骨ばかりになつた。寒い風が吹き込むやうになつても
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