つてしまつた。「おい、皆、わけも分らないで引つ張られてゆくのは反對だ。なアツ! 一つ訊くんだ。」
「んだ、んだ!」皆それに賛成した。
 鈴本は渡だけに眼をつけてゐた。何時でもかういふ時には、彈んだバネのやうに、一緒にはぢけ上る渡が、棒杭のやうにつツ立つてゐる。――警官は小さい齋藤のまはりをぐるりと取卷いてしまつた。外の組合員は、警官の肩と肩の間に自分の肩を楔形に割り込ませやうとした。その身體と身體のモミ合ひが、そこに小さい渦卷きを起した。
「馬鹿野郎、理由を云れ!」
「行けば分る。」――こゝでも、これだ。
「行けば分るで、一々臭え處さ引張られて行《え》つてたまるか。」
「人權蹂躙だ!」後からも叫んだ。
 ××の一人が齋藤をなぐりつけたらしかつた。人の輪が急に大きく搖れた。握りこぶしを固めた組合員が輪の外から、それを乘り越さうと、あせつた。それで急に騷ぎが大きくなつた。
「貴樣等は!……貴樣等はな!」口を何かで抑へられて無理に出してゐる齋藤の聲が、切れ、切れに聞えた。――「貴樣等が、いくらこつたら事したつて、この運動が………な、無くなるとでも……畜生、無くなるとでも思つてるのか! 糞ツ!」
 皆は興奮して、ワツと聲をあげた。
 何かに氣をとられた形でゐた渡が、この時肩巾の廣い、がつしりした身體で、その渦の中に割り込んで行つた。それを見ると、鈴本は、何んでもなかつたのか、さう思つてホツとした。
「正當な理由が無えうち、俺達この全部の力にかけて、行くこと反對だ!」かすれた、底のある低い[#「低い」は底本では「底い」]聲で云つた。渡の低い聲は皆に對して何時も不思議に大きな力を持つてゐた。
 渦卷きから離れて立つてゐた石田は、空元氣を出して騷いでゐる組合員を、何時ものやうに苦々しく思ひ、だまつて見てゐた。石田は騷ぐ時と、さうでない時――さうあつてはならない時がある、と思つてゐる。この事をよくわきまへて、さうする事は、何も非戰鬪的なことであるとは思へなかつた。齋藤などは、石田には狂犬病患者であると、しか考へられなかつた。石田はこの運動をしてゐるものに、殊に「齋藤型」の多いのを知つてゐる。それ等を見ると、石田は何時でも顏をそむけた。それ等には「小兒病」と、人間らしい侮蔑語を使ふのさへ勿體なかつた。「こんな時に、それが何んになる。フン、勇敢な無産階級の鬪士だ。」――石田は自分の周圍に唾をはくと、靴の爪先きでそれを床にこすりつけた。
 渡が出て、皆の結束ががつしりした。――と、その時、入口からもう七八人の巡査がどや/\ツと突入してきた。それで、結束はその力で一もみにもみ潰されてしまつた。皆は大きな渦卷きになつて、表へ、入口の戸をシリ/\させ、もみ出た。
 戸の外からは、剃刀の刄のやうな寒氣がすべり込んできた。夜明けに近く、冷えるにいいだけ冷えきつた、零下二十度の空氣だつた。それに皆は寢起きすぐの身體なので、その寒さが殊にブルン/\とこたえた。皆は顎と肩に力を入れて、ふるえをこらえた。
 夜はまだ薄明りもしてゐなかつた。雪を含んだ暗い空の下で、街は地の底からジーンと靜まりかへつてゐた。歩くと、雪道は何かものでも毀れる時のやうにカリツ/\と鳴つた。垢でべタ/\になつてゐるシヤツをコールテン地の服の下に着てゐた石田や齋藤は、直接《ぢか》に膚へ寒さを感じた。皮膚全體が痛んできた。そして、しばらくすると、手先きや爪先きが感覺なく、しびれてくるのを覺えた。
 皆は一人々々警官に腕を組れて外へ出た。
 一週間程前に組合に入つたばかりの[#「ばかりの」は底本では「ぱかりの」]、まだ二十にならない柴田は初めつから一言も、ものを云へず、變にひきつツた顏をしてゐた。彼は皆がどなる時、それでも、それについて自分でもさうしやうと[#「「しやうと]は底本では「しやと」]努めた。が、半分乾きかけた粘土のやうになつてゐる頬は、ピクピクと動いたきり、いふことをきかなかつた。彼は、何時でもかういふ事には、これから打ち當る、だから早く慣れきつてしまつて置かなければならない、さう思つてゐた。今、然し初めての柴田にはやつぱりそれはドシンと體當りに當つてきた。彼はひとたまりもなく、投げ出された形だつた。彼は寒さからではなしに、身體がふるえ、ふるえ――齒のカタ/\するのを、どうしても止められなかつた。
 皆は灰色の一かたまりにかたまつて、街の通りを、通りから通りへ歩いて行つた。寒さを防ぐために、お互に身體をすり合せ、もみ合せ、足にワザと力を入れて踏んだ。ひつそりしてゐる通りに、二十人の歩く靴音がザツク、ザツク……と、響いて行つた。
 組合の者達は妙にグツと押し默つてゐた。さうしてゐるうちに、皆には然し、不思議に一つの同じ氣持が動いて行つた。インクに浸たされた紙のやうに、みる/\それが皆の氣
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