ラ……ホラ聞えないか?」暗がりで、變にひそめた聲が、彼のすぐ横でした。
佐多は始め何のことか分らなかつた。
「ぢつとしてれ。」
二人は息をしばらくとめた。全身が耳だけになつた。深夜らしくジイン、ジーン、ジーンと耳のなる音がする。佐多はだん/\睡氣から離れてきた。
「聞えるだらう。」
遠くで劍術をやつてゐるやうな竹刀の音(たしかに竹刀の音だつた。)が彼の耳に入つてきた。それだけでなしに、そしてその合間に何か肉聲らしい音も交つてきこえた。それは然しはつきり分らなかつた。
「ホラ、ホラ…‥ホラ、なあ。」その音が高まる度に、不良少年がさう注意した。
「何んだらう。」佐多も聲をひそめて、彼にきいた。
「××さ。」
「…………?」いきなり咽喉へ鐵棒が入つたと思つた。
「もつとよく聞いてみれ。いゝか、ホラ、ホラ、あれア×××××奴のしぼり上げる××。なあ。」
佐多には、それが何んと云つてゐるか分らなかつたが、一度きいたら、心にそのまゝ泌み込んで、きつと一生忘れる事が出來ないやうな××××××だつた。彼はぢいと、それに耳をすましてゐるうちに、夜無氣味な半鐘の音をきゝながら、火事を見てゐる時のやうに、身體が顫はさつてきた。「齒の根」がどうしても合はなかつた。彼は知らない間に片手でぎつしり敷布團の端を握つてゐた。
「分る、分るよ! な、×せ――え、×せ――えツて、云つてるらしい。」
「××――えツて?」
「ん、よく聞いてみれ。」
「なア、なア。」
「………………」
佐多は耳を兩手で覆ふと、汗くさいベト、ベトした布團に顏を伏せてしまつた。彼の耳は、そして又彼の腦膸の奧は、然しその叫聲をまだ聞いてゐた。しばらくして、それが止んだ。取調室の戸が開いたのが聞えてきた。二人は小さい窓に顏をよせて廊下を見た。片方が引きづられてゐる亂れた足音がして、二人が前の方へやつてくるのが見えた。薄暗い電燈では、それが誰か分らなかつた。うん、うん、うんといふ聲と、それを抑へる低い、が強い息聲が靜まりかへつてゐる廊下にきこえた。彼等の前を通るとき、巡査の聲で、
「お前は少し強情だ。」
さう云ふのが聞えた。
佐多はその夜、どうしても眠れず、ズキ、ズキ痛む頭で起きてしまつた。
彼は「××」それを考へると、考へたゞけで背の肉がケイレンを起すやうに痛んだ。膝がひとりでにがくつい[#「がくつい」に傍点]て、
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