、丁度大人に[#「大人に」は底本では「大人の」]肩をフンづかまれて、ゆすぶられる子供のやうに、取調べを進められた。鈴本は、これは危いぞ、と思つた。が、自分が一つ一つの取調べにどう答へてゐるか、自分で分らなかつた。
佐多が入れられた留置場には色々なことで引張られてきてゐる四五人がゐた。それは留置場の一番端しの並びにあつて、取調室がすこし離れてその斜め前にあつた。
彼は警察につれて來られたとき、自分達は偉大な歴史的使命を眞に勇敢にやろうとしてゐたゝめに、かうされるのだ、と繰り返し、繰り返し思つて、自分に納得を與へやうとした。然し彼の氣持はそれとはまるつきり逆に心から參つてしまつてゐた。そして留置場に入つたとき、彼は自分の一生が取返しがつかなく暗くなつた、と思つた。崖の方へ突進してゆく自動車を、もうどうにも運轉出來ず、アツと思つて、手で顏を覆ふ、その瞬間に似た氣持を感じた。その殆んど絶對的な氣持の前には、彼が今迄讀んだレーニンもマルクスも無かつた。「取りかへしがつかない、取りかへしがつかない。」それだけが昆布卷きのやうに、彼の全部を幾重にも包んでしまつた。
それに、この塵芥《ごみ》箱の中そのまゝの留置場は、彼のその絶望的な氣持を二乘にも、三乘にも暗くした。室は晝も晩も、それにけぢめなく始終薄暗く、何處かジメ/\して、雜巾切れのやうな疊が中央に二枚敷かつてゐた。が、それを引き起したら、その下から蛆や蟲や腐つてムレたゴミなどがウジヨ/\出る感じだつた。空氣が動かずムンとして便所臭い匂が[#「匂が」は底本では「匂か」]してゐた。吸へば滓でも殘りさうな、胸のむかつく、腐つた溝水のやうな空氣だつた。
彼は銀行に勤めてゐる關係上、何時も裏からではあつたが、眞に革命的な理論をつかんで、皆と同じやうに實踐に參加してゐたが、その色々な環境と[#「環境と」は底本では「還境と」]生活からくる膚合ひから云つて、低い生活水準にゐる勞働者とはやつぱりちがはざるを得なかつた。普段はそれが分らずにゐた。勿論彼さへ務めてゐれば、それからくる事はちつとも運動の邪魔にならなかつた。――留置場の空氣が、二日も經たないうちに、その上品な彼の身體にグツとこたえてきた。彼は時々胸が惡くなつて、ゲエ、ゲエといつた。然し吐くのでもなかつた。自家《うち》にゐれば、毎朝行くことになつてゐる便所にも行かなくなつた。粗
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