、又讀んだことのある本の中から材料を探がしてきて、もう一度考へ直さうと思つてゐた……。
 彼はすつかりアワを食つてゐた。ズボンをはきながら、のめつたり、よろめいたり、自分ながらさういふ自分に不快になるのを感じさへした。然し、彼は襖一重隣の室で自分を待つてゐる巡査の、カチヤ/\するサアベルの音が幸子の耳に聞える、今にも聞える、さう思つて、ハラ/\してゐた。彼はその音が幸子に聞えれば、幸子の「心」にひゞが入ることを知つてゐた。
「お父さんはねえ、學校の人と一緒に旅行へ行くんだよ。」
 幸子が黒い大きな眼をパツチリ、つぶらに開いて、彼を見上げる。
「おみやに何もつてきて?」
 彼はグツとこたえた。が「うん/\、いゝものどつさり。」
 と、幸子が襖の方へ、くるりと頭を向けた。彼はいきなり兩手で自分の頭を押へた。ピーン、陶器の割れるその音を、彼はたしかにきいた。彼は、アツと、内にこもつた叫聲をあげて、かけ寄ると、急いで幸子の[#「幸子の」は底本では「禮子の」]懷を開けてみた。乾萄葡をつけたやうな二つの乳首の間に、陶器の皿のやうな心がついてゐる――見ると、髮の毛のやうなヒビが、そこに入つてゐるではないか!
 あつ、あつ、あつ、あつ…‥龍吉は續け樣にむせたやうな叫び聲をあげた……。
 眼を開けると、室の中はけぶつたやうな青白い夜明けの光が、はつきり入つてゐた。皆は疲勞してゐるやうな恰好で、大きな頭を胸にうづめたり、身體を半分横にしたり、ぼんやり洞ろな眼差しを板壁に向けてゐたりしてゐた。龍吉は輕くゴツン/\と板壁に自分の頭を打ちつけてみた。頭の左側の一部分が、やはり、そこだけズキ、ズキしてゐた。彼は今うつゝに見た夢が、無氣味な實感の餘韻を何時迄も心に殘してゐることを感じた。
 然し、龍吉は今では自分でもさうと分る程、かういふ處にたゝき込まれた時のオキマリの感傷的な絶望感から逃れ得てゐた。それは誰れでもが囚はれる――そして、それは或る場合、當人を事實全く氣狂ひのやうにしてしまうかも知れない――堪え難い、ハケ口のない陰鬱な壓迫だつた。このためにだけでも、何人もこの運動から身を引いて行つた人のあることを龍吉は見て來てゐた。龍吉だつても、勿論そこを危い綱渡りのやうに通つてきた。そして一回、一回不當な××な××を受ければ、受けるその度毎に、今迄に彼のうちに多分に殘されてゐた抹梢神經がドシ/\
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