、澤山の人が歩いてゐたし、鈴をつけた馬橇、自動車、乘合自動車はしきりなしに往つたり來たりしてゐた。明るい店のシヨウ・ウインドウに、新婚らしい二人連れが顏を近く寄せて、何か話してゐた。――温かさうなコートや角卷の女、厚い駱駝のオーヴアに身體をフカ/\と包んだ男、用達しの小僧、大きな空の辨當箱をさげたナツパ服、子供……それ等が皆、肩と肩とを擦り合せ、話し合ひ、急ぎ足であつたり、ブラ/\であつたり、歩いてゐる。お惠は不思議な氣持がしてくるのを覺えた。今、この同じ××の市であんなに大きな事件が起き上つてゐる。然し、それと此處は何んといふ無關係であらう。それでいゝのだらうか。あの何十人――何百人かの人達が、全く自分等の身體を投げてかゝつてゐる、誰れでものためでない、無産大衆のためにやつてゐるそのことが、こんなに無關係であつていゝと云ふのだらうか――お惠は分らなくなつた。こゝには、そのちよツぴりした餘波さへ來てゐない氣がした。政府が新聞に差止めしてゐるズルイ方法のためがあつたかも知れない。ずるい方法だ! 然しどの顏も、そのどの態度も皆明るく、滿足し、皆てんでの行先きに急いでゐるやうに思はれた。
 夫達は誰のためにやつてゐるのだ。お惠は變に淋しい物足りなさを感じた。夫達がだまされてゐる! 馬鹿な、何を云ふ! 然し、暗い氣持は馬虻のやうに、しつこくお惠の身體にまつはつて離れなかつた。
[#地から5字上げ]―― 次號完結 ――

         五

 ××日の夜明、警察署からは帽子の顎紐をかけた警官が何人も周章た樣子で、出たり入つたりしてゐた。それが何度も何度も繰返された。空色に車體を塗つた自動車も時々横付けにされた。自動車がバタ/\と機關の音をさせると警察のドアーが勢よく開いて、片手で劍をおさへた警官が走つて出てきた。自動車は一きわ高い爆音をあげて、そこから直ぐ下り坂になつてゐる處を、雪道の窪みにタイヤを落して、車體をゆすりながら、すべり下りて、直ぐ見えなくなつた。一寸すると戻つてきて、別な人を乘せると、又出た。

 留置場は一杯になつてゐた。
 先きに入られた者等は、扉の錠がガチヤ/\し出すと、今迄勝手にしやべり散らしてゐたのを、ぴたりやめて、其處だけに眼を注いで――待つた。入つてきたのが、渡、鈴本、齋藤、阪西達だと分ると思はず一緒に歡聲をあげた。警備に當つてゐる巡査が鷄冠の
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