家庭。」暗い電燈さへ無い彼等には、そんなものは糞喰えだつた。
「逃げないから大丈夫。」さう云つて、工藤が笑つた。
お由は泣いてゐる子供に、「誰でもないよ。何時も來る人さ。何んでもない[#「何んでもない」は底本では「何んでなもい」]、さ、泣くんでない。」と云つてゐた。子供は一人づゝ[#「づゝ」は底本では「つゝ」]泣きやんで行つた。工藤の子供達は巡査などに慣れてさへゐた。組合の人達は、冗談半分だけれども、お由が自分の子供等に正しい「階級教育」をほどこしてゐるといふので、評判を立てゝゐた。が、お由は勿論自分では何か理窟があつて、さうしてゐるのではなかつた。――お由は秋田のドン[#「ドン」に傍点]百姓の末娘に生れた。彼女は小學校を二年でやめると、十四の春迄地主の家へ子守にやられた。そこでお由は意地の惡い、氣むづかしい背中の子供と、所嫌はずなぐりつける男の主人と、その主人よりもつと慘忍な女主人にいぢめられ、こづき廻はされた。五年の間、一日の休みもなく、コキ[#「コキ」に傍点]使はれた。そして、やうやく其處から自家へ歸つてくると、畑へ出された。一日中蝦夷のやうに腰を二つに折り、そのために血が頭に下がつてきて、頬とまぶたが充血して腫れ上つた。十七の時、隣り村の工藤に嫁入した。が、その次の次の日から(!)――丁度秋の穫入れが終つた頃なので――工藤と二人で近所の土工部屋にトロツコ押しに出掛けて行かなければならなかつた。雜巾切れのやうに疲れ切つて歸つてくると、家の中の仕事は山のやうに溜つてゐた。お由は打ちのめされた人のやうに、クラツ/\する身體でトロツコと臺所の間を往き來した。ジリ/\燒けつく日中に、トロツコを押しながら、始めての夫婦生活の疲勞と月經から氣を失つて、仰向けにぶツ倒れた事があつた。
子供が生れてから、生活は尻上りに、やけに苦しくなつてきた。そんな時になつてどうすればいゝか分らなくなつた工藤は、自分とお由とで行李を一つづゝ背負つて、暗くなつてから村を出てしまつた。暗い、吹雪いた、山の鳴る夜だつた。そして北海道へ渡つてきた。
小樽で二人はある鐵工場に入つた。が、北海道と内地とは、人が云ふほどの大した異ひはなかつた。こゝも矢張りお由達には住みいゝ處ではなかつた。では、何處へ行けばよかつたらう。だが、何處へ行くところがある! プロレタリアは何處へ行つたつて、同じことだ……。
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