に唾をはくと、靴の爪先きでそれを床にこすりつけた。
 渡が出て、皆の結束ががつしりした。――と、その時、入口からもう七八人の巡査がどや/\ツと突入してきた。それで、結束はその力で一もみにもみ潰されてしまつた。皆は大きな渦卷きになつて、表へ、入口の戸をシリ/\させ、もみ出た。
 戸の外からは、剃刀の刄のやうな寒氣がすべり込んできた。夜明けに近く、冷えるにいいだけ冷えきつた、零下二十度の空氣だつた。それに皆は寢起きすぐの身體なので、その寒さが殊にブルン/\とこたえた。皆は顎と肩に力を入れて、ふるえをこらえた。
 夜はまだ薄明りもしてゐなかつた。雪を含んだ暗い空の下で、街は地の底からジーンと靜まりかへつてゐた。歩くと、雪道は何かものでも毀れる時のやうにカリツ/\と鳴つた。垢でべタ/\になつてゐるシヤツをコールテン地の服の下に着てゐた石田や齋藤は、直接《ぢか》に膚へ寒さを感じた。皮膚全體が痛んできた。そして、しばらくすると、手先きや爪先きが感覺なく、しびれてくるのを覺えた。
 皆は一人々々警官に腕を組れて外へ出た。
 一週間程前に組合に入つたばかりの[#「ばかりの」は底本では「ぱかりの」]、まだ二十にならない柴田は初めつから一言も、ものを云へず、變にひきつツた顏をしてゐた。彼は皆がどなる時、それでも、それについて自分でもさうしやうと[#「「しやうと]は底本では「しやと」]努めた。が、半分乾きかけた粘土のやうになつてゐる頬は、ピクピクと動いたきり、いふことをきかなかつた。彼は、何時でもかういふ事には、これから打ち當る、だから早く慣れきつてしまつて置かなければならない、さう思つてゐた。今、然し初めての柴田にはやつぱりそれはドシンと體當りに當つてきた。彼はひとたまりもなく、投げ出された形だつた。彼は寒さからではなしに、身體がふるえ、ふるえ――齒のカタ/\するのを、どうしても止められなかつた。
 皆は灰色の一かたまりにかたまつて、街の通りを、通りから通りへ歩いて行つた。寒さを防ぐために、お互に身體をすり合せ、もみ合せ、足にワザと力を入れて踏んだ。ひつそりしてゐる通りに、二十人の歩く靴音がザツク、ザツク……と、響いて行つた。
 組合の者達は妙にグツと押し默つてゐた。さうしてゐるうちに、皆には然し、不思議に一つの同じ氣持が動いて行つた。インクに浸たされた紙のやうに、みる/\それが皆の氣
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