土佐日記
紀貫之

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男もすなる日記といふものを、女もしてみむとてするなり。それの年(承平四年)のしはすの二十日あまり一日の、戌の時に門出す。そのよしいさゝかものにかきつく。ある人縣の四年五年はてゝ例のことゞも皆しをへて、解由など取りて住むたちより出でゝ船に乘るべき所へわたる。かれこれ知る知らぬおくりす。年ごろよく具しつる人々(共イ)なむわかれ難く思ひてその日頻にとかくしつゝのゝしるうちに夜更けぬ。
廿二日(にイ有)、和泉の國までとたひらかにねがひたつ。藤原の言實船路なれど馬の餞す。上中下ながら醉ひ過ぎていと怪しくしほ海のほとりにてあざれあへり。
廿三日、八木の康教といふ人あり。この人國に必ずしもいひつかふ者にもあらざる(二字ずイ)なり。これぞ正しきやうにて馬の餞したる。かみがらにやあらむ、國人の心の常として今はとて見えざなるを心あるものは恥ぢずき(ぞイ)なむきける。これは物によりて譽むるにしもあらず。
廿四日、講師馬の餞しに出でませり。ありとある上下童まで醉ひしれて、一文字をだに知らぬものしが、足は十文字に踏みてぞ遊ぶ。
廿五日、守のたちより呼びに文もて來れり。呼ばれて至りて日ひとひ夜ひとよとかく遊ぶやうにて明けにけり。
廿六日、なほ守のたちにてあるじしのゝしりてをのこらまでに物かづけたり。からうた聲あげていひけり。やまとうた、あるじもまらうどもこと人もいひあへりけり。からうたはこれにはえ書かず。やまとうたあるじの守のよめりける、
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「都いでゝ君に逢はむとこしものをこしかひもなく別れぬるかな」
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となむありければ、かへる前の守のよめりける、
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「しろたへの浪路を遠くゆきかひて我に似べきはたれならなくに」。
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ことひとびとのもありけれどさかしきもなかるべし。とかくいひて前の守も今のも諸共におりて、今のあるじも前のも手取りかはしてゑひごとに心よげなることして出でにけり。
廿七日、大津より浦戸をさして漕ぎ出づ。かくあるうちに京にて生れたりし女子(子イ無)こゝにて俄にうせにしかば、この頃の出立いそぎを見れど何事もえいはず。京へ歸るに女子のなきのみぞ悲しび戀ふる。ある人々もえ堪へず。この間にある人のかきて出せる歌、
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「都へとおもふもものゝかなしきはかへらぬ人のあればなりけり」。
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又、或時には、
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「あるものと忘れつゝなほなき人をいづらと問ふぞ悲しかりける」
[#ここで字下げ終わり]
といひける間に鹿兒の崎といふ所に守のはらからまたことひとこれかれ酒なにど持て追ひきて、磯におり居て別れ難きことをいふ。守のたちの人々の中にこの來る人々ぞ心あるやうにはいはれほのめく。かく別れ難くいひて、かの人々の口網ももろもちにてこの海邊にて荷ひいだせる歌、
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「をしと思ふ人やとまるとあし鴨のうち群れてこそ我はきにけれ」
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といひてありければ、いといたく愛でゝ行く人のよめりける、
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「棹させど底ひも知らぬわたつみのふかきこゝろを君に見るかな」
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といふ間に楫取ものゝ哀も知らでおのれし酒をくらひつれば、早くいなむとて「潮滿ちぬ。風も吹きぬべし」とさわげば船に乘りなむとす。この折にある人々折節につけて、からうたども時に似つかはしき(をイ有)いふ。又ある人西國なれど甲斐歌などいふ。かくうたふに、ふなやかたの塵も散り、空ゆく雲もたゞよひぬとぞいふなる。今宵浦戸にとまる。藤原のとき實、橘の季衡、こと人々追ひきたり。
廿八日、浦戸より漕ぎ出でゝ大湊をおふ。この間にはやくの國の守の子山口の千岑、酒よき物どももてきて船に入れたり。ゆくゆく飮みくふ。
廿九日、大湊にとまれり。くす師ふりはへて屠蘇白散酒加へてもて來たり。志あるに似たり。
元日、なほ同じとまりなり。白散をあるもの夜のまとてふなやかたにさしはさめりければ、風に吹きならさせて海に入れてえ飮まずなりぬ。芋し(もカ)あらめも齒固めもなし。かやうの物もなき國なり。求めもおかず。唯おしあゆの口をのみぞ吸ふ。このすふ人々の口を押年魚もし思ふやうあらむや。今日は都のみぞ思ひやらるゝ。「九重の門のしりくめ繩のなよしの頭ひゝら木らいかに」とぞいひあへる。
二日、なほ大湊にとまれり。講師、物、酒などおこせたり。
三日、同じ所なり。もし風浪のしばしと惜む
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