きた。仙妃の手はまた青年の手にかかっていた。
「お前、もう飽いたならあっちへ往こう」
「は」
 青年が起つと仙妃も起って、そのまま青年を伴《つ》れて往った。侍女達は手に手に綺麗な燈を持って案内した。そこは珍しい織物を張り詰めた狭い室で、翠《みどり》の帳《とばり》の中には紅い花のような榻《ねだい》があった。そこへ往くと仙妃が言った。
「私はお前と宿縁があったから、お前を召《よ》んだ、良夜易闌、可即帰寝」
 小吏不敢辞、遂侍仙妃枕席。とろとろと燃える燈の光は仙妃の左か右かの眉尻《まなじり》にある小さな疵痕を見せた。青年は幸福に浸りながらその疵痕に眼をやった。
 朝になると仙妃は、
「お前をいつまでもここにおきたいが、そんなことをしては、天の咎めがある」
 と、言って傍の箱から衣裳を取り出してそれを青年の前において、
「これを記念《かたみ》にあげる、私と思って持って往くように、そのうちに召びよせるから」
 青年は仙宮を出てまた元の貧しい盗尉部の小吏になるのが厭であったが、そのままいることもできないのでその衣裳をもらって帰ることにすると、仙妃はかの老嫗を呼んで言いつけた。
「この方をお送りする
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