暗むような気がして内へ逃げ込んだ。その讓の体は軟《やわら》かな手でまた抱き縮められた。
「どんなに探したか判らないのだよ、どこにいらしたのです」
 讓はふるえながら対手《あいて》を見た。それは彼《か》の年増の女であった。

      ※[#ローマ数字「VI」、1−13−26]

「あなたは、ほんとにだだっ子ね、そんなにだだをこねられちゃ、私が困るじゃありませんか、こっちへいらっしゃいよ」
 年増は讓の双手《りょうて》を握って引《ひっ》ぱった。讓はどうでもして逃げて帰りたかった。
「僕を帰してください、僕は大変な用事があるのです、いることはできないから、帰してください」
 讓は女の手を揮《ふ》り払おうとしたが離れなかった。
「そんな無理なことを云うものじゃありませんよ、あなたの御用って、下宿に女の方が待ってるだけのことでしょう」
「そんなことじゃないのです」
「そうですよ、私にはちゃんと判ってるのですよ、その女よりか、いくら家の奥さんが好いか判らないじゃありませんか、ほんとうにあなたは、慾を知らない方ね、こっちへいらっしゃいよ、いくら逃げようとしたって、今度は放しませんよ、いらっしゃい
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