聞かずに、逃げて帰るところですから、なんですか早く云ってください、どんなことです」
「ここではお話ができませんから、ちょっと次の室《へや》へいらしてください、ちょっとで好いのですから」
 讓は争っているよりもちょっとで済むことなら、聞いてみようと思った。
「では、ちょっとなら聞いても好いのです」
「ちょっとで好いのですよ、来てください」
 年増《としま》の女が歩いて往くので跟《つ》いて往くとすぐつぎの室《へや》の扉《ドア》を開けて入った。
 中には手前の壁に寄せかけて安楽椅子をはじめ五六脚の形のちがった椅子を置き、そのむこうには青い帷《とばり》を引いてあった。そこは寝室らしかった。
「さあ、ちょっとここへかけてくださいよ」
 年増の女が入口に近い椅子に指をさすので讓は急いで腰をかけた。
「なんですか」
 年増の女はその前に近く立ったなりで笑った。
「そんなに邪見《じゃけん》になさるものじゃありませんよ」
「なんですか」
「まあ、そんなにおっしゃるものじゃありませんよ、あなたは、家の奥さんの心がお判りになったのでしょう」
「なんですか、僕にはどうも判らないのですが」
「そんな邪見なことを
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