ん」
「好いです、送ってあげましょう」
「では、すみませんが」
「その家はあなたが御存じでしょう」
 女は讓の左側に並んで歩いていた。
「知ってます」
 右へ曲る角《かど》にバーがあって、入口に立てた衝立《ついたて》の横から浅黄《あさぎ》の洋服の胴体が一つ見えていたが、中はひっそりとして声はしなかった。
「こっちへ往くのですか」
 讓は曲った方へ指をやった。
「このつぎの横町《よこちょう》を曲って、ちょっと往ったところです、すみません」
「なに好いのですよ、往きましょう」
 路《みち》の上が急に暗くなって来た。何人《なんびと》かがこのあたりに見はっていて、故意に門燈のスイッチをひねっているようであった。
「すこし、こっちは、暗いのですよ」
 女の声には霧がかかったようになった。
「そうですね」
 女はもう何も云わなかった。

      ※[#ローマ数字「III」、1−13−23]

「ここですよ」
 蒸し蒸しするような物の底に押し込められているような気もちになっていた讓は、女の声に気が注《つ》いて足をとめた。そこにはインキの滲《にじ》んだような門燈の点《つ》いている昔風な屋敷門があっ
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