へさえ出れば、帰られないことはないと思った。そこには庭へおりる二三段になった階段がついていた。讓はその階段へ足をかけた。
讓を廊下で抱き縮《すく》めたような女と同じぐらいな年|恰好《かっこう》をした年増の女が、隻手《かたて》に大きなバケツを持って左の方から来た。讓は見つけられてはいけないと思ったので、そっと後戻りをして出口の柱の陰に立っていた。
肥った女はちょうど讓の前の方へ来てバケツを置き、庭前《にわさき》の方へ向いて犬かなんかを呼ぶように口笛を吹いた。庭の方には天鳶絨《びろうど》のような草が青あおと生えていた。肥った女の口笛が止《や》むと、その草が一めんに動きだしてその中から小蛇《こへび》が数多《たくさん》見えだした。それは青い色のもあれば黒い色のもあった。その蛇がにょろにょろと這《は》いだして来て女の前へ集まって来た。
女はそれを見るとバケツの中へ手を入れて中の物を掴《つか》み出して投げた。それはなんの肉とも判らない血みどろになった生生《なまなま》しい肉の片《きれ》であった。蛇は毛糸をもつらしたように長い体を仲間にもつらし合ってうようよとして見えた。
讓は眼前《めさき》が暗むような気がして内へ逃げ込んだ。その讓の体は軟《やわら》かな手でまた抱き縮められた。
「どんなに探したか判らないのだよ、どこにいらしたのです」
讓はふるえながら対手《あいて》を見た。それは彼《か》の年増の女であった。
※[#ローマ数字「VI」、1−13−26]
「あなたは、ほんとにだだっ子ね、そんなにだだをこねられちゃ、私が困るじゃありませんか、こっちへいらっしゃいよ」
年増は讓の双手《りょうて》を握って引《ひっ》ぱった。讓はどうでもして逃げて帰りたかった。
「僕を帰してください、僕は大変な用事があるのです、いることはできないから、帰してください」
讓は女の手を揮《ふ》り払おうとしたが離れなかった。
「そんな無理なことを云うものじゃありませんよ、あなたの御用って、下宿に女の方が待ってるだけのことでしょう」
「そんなことじゃないのです」
「そうですよ、私にはちゃんと判ってるのですよ、その女よりか、いくら家の奥さんが好いか判らないじゃありませんか、ほんとうにあなたは、慾を知らない方ね、こっちへいらっしゃいよ、いくら逃げようとしたって、今度は放しませんよ、いらっしゃいよ」
女はぐんぐんとその手を引ぱりだした。讓の体は崩れるようになって引ぱられて往った。
「放してください」
「だめよ、男らしくないことを云うものじゃありませんよ」
讓は室《へや》の中へ引ぱり込まれた。そこは青い帷《とばり》を張ったはじめの室であった。
「奥様がどんなに待っていらっしゃるか判りませんよ、こちらへいらっしゃいよ」
年増は隻手《かたて》を放してそれで帷を捲《ま》くようにして、無理やりに讓の体をその中へ引込んだ。
そこには真中に寝台があってその寝台の縁《へり》に※[#「女+朱」、第3水準1−15−80]《きれい》な主婦が腰をかけて、じっと眼を据《す》えて入って来る讓の顔を見ていた。その室の三方には屏風《びょうぶ》とも衝立《ついたて》とも判らないものを立てまわして、それに色彩の濃い奇怪な絵を画《えが》いてあった。
「ほんとにだだっ子で、やっと掴《つか》まえてまいりました」
年増は讓を主婦の傍へ引ぱって往って、主婦のむこう側の寝台の縁へ腰をかけさせようとした。
「放してください、僕はだめです、僕は用事があるのです、僕は厭《いや》です」
讓は年増の女を揮《ふ》り放して逃げようとしたがはなれなかった。
「だめですよ、もうなんと云っても放しませんよ、そんなばかなことをせずに、じっとしていらっしゃいよ、ほんとうにあなたは、ばか、ねえ」
主婦の眼は讓の顔から離れなかった。
「おとなしく、だだをこねずに、奥さんのお対手《あいて》をなさいよ」
年増はおさえつけるようにして讓を寝台の縁へかけさした。讓はしかたなしに腰をかけながら、ただ逃げ出そうとしても逃げられないから、油断をさしておいて隙《すき》を見て逃げようと思ったが、頭が混乱していて落ちついていられなかった。
「そんなに急がなくたって、ゆっくりなされたら好いじゃありませんか」
主婦は年増の放《はな》した讓の手に軽く己《じぶん》の手をかけて、心持ち讓を引き寄せるようにした。
「失礼します」
讓はその手を揮《ふ》り払うとともに起《た》ちあがって、年増の傍を擦《す》り抜けて逃げ走った。
「このばか、なにをする」
年増の声がするとともに讓は後《うしろ》からつかまえられてしまった。それでも彼はどうかして逃げようと思ってもがいたが、揮り放すことはできなかった。
「奥様、どういたしましょう、このばか者はしようがあり
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