したが、南は依然として詞を曖昧にして応じなかった。廷章は怒って児を棄てた。
 女はその夜家を出て児を探しに往った。児は星の下で仔犬のうなるような声をして泣いていた。女は児を抱いて南の家へ往った。
「どうか旦那に逢わしてください」
 ※[#「門<昏」、第3水準1−93−52]者《もんばん》は児を抱いた若い女の来たことを取りついだ。南は逢わなかった。南はその夜門の外で女と児の啼く声を徹宵《よっぴて》聞いたが、黎明《よあけ》比《ごろ》からぱったり聞えなくなった。
 朝になって南は門口へ出た。門口には児をひしと抱いた女が、その児と二人で冷たくなっていた。

 廷章は女のいないのに気が注いて、驚いて室の中から家の周囲を探したが、何処にもその姿は見えなかった。廷章は自分のしうちがあまり残酷であったと思って後悔すると共に、女に万一のことがあってはならないと思って、はらはらしながら家を出て探しに往った。
 それはもう暁《よあけ》であった。歩いているうちに女はもしかすると棄てた児に心を牽《ひ》かれて探しに往ったのではあるまいかと思いだした。廷章は村はずれの児を棄てた場処へ足を向けた。
 児を棄てた場処には児はいなかった。何か児の身に変ったことがあったのではないかと思って注意したが、べつに変ったこともないので、何人《だれ》か慈悲深い人に拾われて往ったのか、それとも女が伴れて往ったのかと思った。女が伴れて往ったとしたら何処へ伴れて往ったろう。
 廷章の足はいつの間にか晋陽の城市の方へ向いていた。晋陽の城門はとうに開いていた。城門を出入する人びとの頭の上を低く燕が飜っていた。廷章は城門を入って往った。其処は晋陽の大街《おおどおり》で金色の招牌《かんばん》を掲げた商店が両側に並んでいた。廷章はその大街を暫く往って右に折れ曲った。其処に南三復の家があって数多《たくさん》の人が朝陽を浴びてその前に集まっていた。
 廷章はその人群の中へ往った。其処には児を抱いた若い女が児と同時《いっしょ》に死んでいるのを、晋陽の府廨《やくしょ》から来た吏《やくにん》が検案《けんあん》しているところであった。廷章は狂気《きちがい》のようになって叫んだ。
「ええそれは、南三復の羅刹《おに》に殺されました、南三復が殺しました」
 吏の一人はそれを遮った。
「なにを申す、めったなことを申してはならんぞ、この女と児は、その方の知己《しりあい》か」
「これは、わたくしの女でございます、南三復と関係してこの児を生みました、二人は南三復に殺されました」
 吏はまた叱った。
「これ、そんなことをもうしてはならんというに、南は有名な世家だ、そんなことをする人柄じゃない」
「いや、南でございます、南三復はわたくしの家へ来て、わたくしの眼を窃んで、わたくしの女をだまして、児を生ませました、村の衆も知っております」
「それでは、府廨へこい、府廨で検べる」
 吏は女と児の死体を舁《かつ》がせ、廷章を伴れて引きあげて往ったが、廷章の詞は理路整然としていて誣告《じょうだん》でもないようであるから、南を呼びだすことにして牒《つうち》を南の家へだした。南は恐れて晋陽の令をはじめ要路の吏に賄賂を用いたので、断獄《さいばん》はうやむやになって南はそのままになり、廷章は女と児の死体をさげわたされて事件は落着した。
 南はすずしい顔をして外出ができるようになった。その南の許へかの媒婆が来た。
「へんなことを聞いたものでございますから、心配しておりましたが、何もなくて結構でございました」
「いや、あんな奴にかかりあっちゃかなわないね、そこいらあたりの若い奴と、いたずらしたのを、僕が時おり往ったものだから、僕になすりつけて、ものにしようとしたものだよ、いくらなんだってあんな土百姓の女なんかに、手出しなんかするものかね」
「そうでございますとも、先方の旦那が、厭な噂があるが、ほんとかと仰しゃるものですから、わたしもそう言ったのですよ、なんぼなんだって、世家の旦那が、あんな汚い土百姓の女なんかに、手出しなんかするものですかって、ほんとに災難でございましたね」
「とんだ災難さ、いつか別荘へ往ってて、帰りに雨に逢ったものだから、雨をやまそうと思って往ってみると、酒なんか出すものだから、感心な百姓だと思って、別荘の往復に、時どき寄って、ものをくれてやったりなんかしたが、先方は初めから女を媒鳥《おとり》にして、ものにするつもりでかかってたものだよ、酷い目に逢ったよ」
「そうでございますよ、これというのも、奥様を早くお定めにならないからでございますよ」
「そうかも知れないね」
「そうでございますよ、だから、わたしも早く、あれを纏めようとしてるのですよ、旦那の方には、確かに異存はございますまい」
 南は早く結婚して悪評を消したかった。

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