「でも、いやよ、放してよ」
「まあ、じっとしていらっしゃい、いいじゃないの」
「だめよ、わたし、こんな百姓でも、ちゃんとお嫁に往かなくちゃならないのですもの、そんなみだらなことはいやよ」
 南は口実が見つかった。
「僕は、あなたを弄《もてあそ》ぶつもりじゃないのです、あなたはお父さんから聞いてるかも解らないが、僕は家内がないのです、僕はあなたに結婚してもらいたいのです」
「ほんとう」
「ほんとうですとも」
「きっと」
「きっとですとも」
「じゃ、盟《ちか》ってくれて」
「盟いますとも」
 窓の外には晴れた空が覗いていた。南はそれに指をやった。
「あの、天に盟います」
 少女は南の指をやった方を見た。
「きっと盟う」
「盟いますとも」
 南はそう言って少女を抱きしめるようにした。
 南はその日から廷章の留守に廷章の家へ往くようになった。某日《あるひ》女《むすめ》は南の耳に囁いた。
「いつまでも、こんなことをしてるのはいやよ、どうか、お父さんに話して、正式に結婚してよ」
 南は賤しい農民の女と結婚するのは困ると思ったが、女の心地《きもち》を硬《こわ》ばらしては面白くないので、頷いて見せた。

 晋陽の某《ある》大家へ出入している媒婆《ばいば》があって、それが某日南の家へきた。
「あなたは、あのお嬢さんと結婚なされては如何です」
 その女の美しいということは南も聞いていた。
「そうですね」
「彼処の旦那様が、あなたのことをほめていらっしゃいますから、あなたが結婚なさる腹なら、すぐ纏《まとま》りますが」
「そうですね」
「お嬢さんは美しいかたですし、お金はどっさりありますし」
 なるほどその大家には巨万の富があった。南の心は動いた。
「それじゃ、纏めてもらいましょうか」
 媒婆が帰った後で南はまた廷章の家へ往った。
 女は南に云った。
「早く結婚してよ、わたし体の具合がすこしへんよ」
 女は妊娠していたのであった。南はその日かぎり女の許《もと》へ往かないようになった。
 南に棄てられた女は一人で苦しんでいた。女の体の異状は外見にも解るようになった。廷章は驚いて女をせめた。女は南との関係を話した。廷章はやや安心して人を南の許へやって女を引き取らそうとした。南は詞《ことば》を左右にしてしっかりした返事をしなかった。そのうちに女は分娩した。廷章はどうしても女と児を引き取らそうと
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