りそうなものだと思った。獣の吠える声がますます凄く聞えた。章は渇きを覚えたので、水を飲もうと思って岩の後ろへ廻り、そこへ来た時にちらと見てあった、岩の裂目《さけめ》からしたたり落ちている水を掌《て》に掬うて飲んだ。そして、思うさまに飲んで元の処へ帰ったところで、うっすらとした光が見えた。谷を越えた左手の峰の林の間に、赤い月が登りかけているところであった。
 引き緊っていた章の心に、ややゆとりが出来た。彼は岩に凭れて長ながと両足を投げだしたが、昼の疲れが返ってきて、足の裏や膝こぶしに軽い痛みを覚えてきた。
 円い大きな月が団扇《うちわ》のように木の枝に懸《かか》って見えた。章はいつの間にか睡くなったのて[#「なったのて」はママ]、体を横倒しにして、矢筒を引き寄せ、それを枕にして寝てしまった。心よい重おもしい睡が続いてやってきた。そうして前後を忘れて睡っていた章は、何物かに咽喉元を嘗められたような気がするので、手をやって払い除《の》けようとしたが、そのひょうしに手の端《さき》に生物の温味《あたたかみ》を感じたので、力を入れて握り締めた。と、同時に女の叫ぶような不思議な声が聞えた。
 夢現《
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