連城
蒲松齢
田中貢太郎訳

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)喬《きょう》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)その時|史孝廉《しこうれん》

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「宛+りっとう」、第4水準2−3−26]《えぐ》らす
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 喬《きょう》は晋寧《しんねい》の人で、少年の時から才子だといわれていた。年が二十あまりのころ、心の底を見せてあっていた友人があった。それは顧《こ》という友人であったが、その顧が没《な》くなった時、妻子の面倒を見てやったので、邑宰《むらやくにん》がひどく感心して文章を寄せて交際を求めて来た。そして二人が交際しているうちに、その邑宰が没くなったが、家に貯蓄がないので家族達は故郷へ婦ることができなかった。喬は家産を傾けて費用を弁じ、顧の家族と共に顧の柩《ひつぎ》を送っていって、二千余里の路を往復したので、心ある人はますますそれを重んじたが、しかし、家はそれがために日に日に衰えていった。
 その時|史孝廉《しこうれん》という者があって一人の女《むすめ》を持っていた。女は幼な名を連城《れんじょう》といっていた。刺繍《ししゅう》が上手で学問もあった。父の孝廉はひどくそれを愛した。連城の刺繍した女の刺繍に倦《う》んでいる図を出して、それを題にして少年達に詩をつくらした。孝廉はその詩によって婿《むこ》を択《えら》ぼうとしていた。喬もそれに応じて詩をつくって出した。
 その詩は、
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慵鬟高髻緑婆娑《ようかんこうきつみどりばさ》
早く蘭窓に向って碧荷《へきか》を繍《しゅう》す
刺して鴛鴦《えんおう》に到って魂《たましい》断《た》たんと欲す
暗に針綫《しんせん》を停《とど》めて双蛾を蹙《ひそ》む
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 というのであった。
 また連城の刺繍の巧みなことをほめて、
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繍線|挑《ちょう》し来たりて生くるを写すに似たり
幅中の花鳥自ら天成
当年錦を織るは長技に非《あら》ず
倖《さいわい》に廻文を把《と》りて聖明を感ず
[#ここで字下げ終わり]
 としてあった。連城はその詩を見て喜んで、父に向ってほめた。孝廉は喬は貧乏だからといって相手にしな
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