偸桃
蒲松齢
田中貢太郎訳

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)山車《だし》

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   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「怨」の「心」に代えて「皿」、第3水準1−88−72]《わん》
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 少年の時郡へいったが、ちょうど立春の節であった。昔からの習慣によるとその立春の前日には、同種類の商買をしている者が山車《だし》をこしらえ、笛をふき鼓《つづみ》をならして、郡の役所へいった。それを演春《えんしゅん》というのであった。
 私も友人についてそれを見物していた。その日は外へ出て遊んでいる人が人垣を作っていた。堂の上には四人の官人に扮《ふん》した者がいたが、皆赤い着物を着て東西に向きあって坐っていた。私は小さかったからそれが何の官であったということは解らなかった。たださわがしい人声と笛や鼓の音が耳に一ぱいになっていたのを覚えている。
 その時一人の男が髪を垂らした子供を伴《つ》れて出て来て、官人の方に向って何かいうようなふりであったが、さわがしいので何をいっているのか聞くことができなかった。と、見ると山車の上に笑い声をする者があった。それは青い着物を着た下役人であった。下役人は大声で彼の男に向って芝居をせよといいつけた。彼の男は何の芝居をしようかと訊いた。官人達は顔を見あわして三言四言いった。そこで下役人が、
「お前は何が得意か。」
 と訊いた。彼の男は、
「何もない所から物を取ってくることができます。」
 といった。下役人はそこで官人に申しあげた。と、しばらくして命《めい》がくだった。下役人は彼《か》の男に向っていった。
「桃を取ってまいれ。」
 彼の男は承知して、衣《うわぎ》をぬいで笥《はこ》の上にかけ、物を怨むような所作《しょさ》をしていった。
「お役人様は、物がわからない。こんな氷の張っている時に、どこに桃があるだろう。しかし、また取らなければ怒りに触れる。さて、どうしたらいいかなァ。」
 すると彼の伴れている子供がいった。
「お父さんは、もう承知したじゃないか。今更できないとはいわれないだろう。」
 彼の男は困ってなげくような所作をしていて、やや暫くしていった。
「よし、思いついた。この春の雪の積んでいる時に、人間世界にどこに桃が
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