蓮香
田中貢太郎
−−
【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)桑生《そうせい》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)帰る時|繍《ぬい》の
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「奚+隹」、第3水準1−93−66]《にわとり》
−−
桑生《そうせい》は泝州《そしゅう》の生れであって、名は暁《ぎょう》、字《あざな》は子明《しめい》、少《おさな》い時に両親に死別れて紅花埠《こうかほ》という所に下宿していた。この桑は生れつき静かなやわらぎのある生活を喜ぶ男で、東隣の家へ往って食事をする他は、自分の座にきちんと坐っていた。あの日[#「あの日」はママ]、東隣にいる男が来て冗談に言った。
「君は独りいるが、鬼《ゆうれい》や狐はこわくないのかい」
桑は言った。
「男子が鬼や狐をこわがってどうする、もしくれば僕には剣があるさ、それも女なら門を開けて納《い》れてやるがね」
隣の男は帰って往ったが、その夜友達と相談して妓《げいしゃ》を伴《つ》れて往って、垣に梯《はしご》をかけて門の中に入れて扉をことことと叩かした。桑はちょっと窺《のぞ》いて、
「どなた」
と言って訊いた。妓は、
「私は迷って出てきたものでございます」
と言った。桑はひどく懼《おそ》れて歯の根もあわずにわなわなと顫えた。妓もそれを見てあとしざりして帰って往った。隣の男は翌朝早く桑の斎《へや》へ往った。
「ゆうべはたいへんなことがあったよ」
と言って、この世の女でない女の来たことを話して、
「僕はもう帰ろうと思ってるのだ」
と言った。隣の男は手をうって言った。
「なぜ門を開けて納れなかったのかい、女なら納れるはずだったじゃないか」
桑はそこで友達の悪戯《いたずら》であったということを悟った。で、安心して帰ることをよした。
半年してのことであった。ある夜、室《へや》の扉を叩くものがあった。
「もし、もし」
それは女の声であった。桑はまた友人の悪戯だろうと思ったので扉を開けて入れた。それは綺麗な若い女であった。桑は驚いて訊いた。
「君は何人《だれ》だね」
「私、蓮香《れんこう》と申しますの、この西の方にいる妓《こども》なのです」
そこの紅花埠には青楼が多かったので
次へ
全13ページ中1ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
田中 貢太郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング