て中から一枚の紙と矢立をだした。
「さあ、ここに矢立と紙がある、これへ書くが好かろう」
怪しい男はその紙と矢立を受けて紙に臨んで筆を走らした。
「では、これを土佐邸へ届けてくれ、何分頼む」
船頭の手に矢立と紙が返って来た。
「たしかに頼まれた、大阪へ着き次第、土佐邸へ届けるから安心せよ」
怪しい男の姿はもう見えなかった。
怪しい男から書類《かきつけ》を托された船は薩摩の船であった。薩摩の船は大阪へ着くとともに土佐邸へその書類を届けに往った。土佐邸には孫八を知っているものもあった。で、その書類がほんとうに孫八の書いたものであるかないかを詮議したがはっきり判らない。そこで、孫八と関係のある女が住吉に住んでいると云うのでその女を呼びだした。
女は不審しながら来た。役人は女の前へ彼の書類を差しだした。
「この文字に見覚えがあるか」
女はそれを受取ってずっと読んだ後に泣き仆れてしまった。
「その書類は、薩摩の船が、遠州灘で、孫八の幽霊と云うものに頼まれたと云うて、届けて来たものじゃが、たしかに孫八の手に相違ないか」
「たしかに孫八殿に相違ございません」
女はそう云ってまた泣いた。
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